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方向感覚の喪失と虚無感。


そんな流れで、アジャシャンティの“ あなたの世界の終わり ”を読み返していたらの一節。ここに書かれている「方向感覚の喪失」は 虚無感 と表現することもできるし、虚無感というのもいわゆる「定着しない目覚め」のあらわれであり、そういうプロセスの一部なのだとおもう。悟り(自我の解体)というプロセスを知っていれば、腑に落ちやすいけれど、そういう前置きもなしに「方向感覚の喪失や虚無感」を体験しはじめると、動揺したり虚無感という苦しみになるだろうとおもう。ポイントは以下にも記載されているけれど「 エゴ的消滅のプロセスが起こることをゆるす 」ということ。許すというのは、抵抗しないということだ。その流れに暴れずに、流されるままに流されてみること。暴れれば溺れているような様になるけど、ただ流されていればそれは「穏やかな漂流」になる。

「わたしはこれから何になっていくのだろうか?何が私を動かしていくのだろうか?何がこの人間の動機になるのだろうか」

もちろん、もし人が完全に目覚めていれば、こういった質問はもちません。しかし最初は、それはまれなことです。たいていの人たちにとっては、目覚めのあとにさらなるプロセスがあります。

(中略)

方向感覚の喪失が起こるのは、マインドが新しい文脈で自分自身を方向づけようと奮闘しているからです。

(中略)

ですから方向感覚の喪失は、目覚めた観点に必ずしも内在しているものではありませんが、それはマインドが方向を見つけようとするから起こるのです。しかし、目覚めた観点への鍵の一つは、どんな方向性もないということです。現実(リアリティ)は、方向性を必要とはしていません。もし方向性があるとすれば、それは深いくつろぎ、あらゆるものをあるがままにしておく方向性です。まさに自分の方向性を見つけようとしないことを通じて、あなたは自分の方向性を見つけるのです。完全に手放すことで、あなたは自分の方向性を発見するのです。

私たちが手放しているのに、自分の人生を動かすような新しいエネルギーが、自分の意思の中にすぐには生じない局面があります。もちろん、このエネルギーは存在していて、始終私たちを通じて動いています。それは非分離のエネルギーです。それは源泉から、歪められず、まっすぐ来ています。しかし、私たちの意識の中では、自分のエゴ的動機の消滅とこのエネルギーの出現に間にしばしばギャップがあります。ですから、目覚めのあと、これからどんな新しいエネルギーが私たちを動かしてくれるのか、考える時期を経験するかもしれません。

もう一度言えば、重要なことは、エゴ的消滅のプロセスが起こることをゆるす、ということです。ほとんどの人たちにとっては、この消滅の過程は、何年も続くことでしょう。私の場合、より深い覚醒というか目覚めー本質的違いではなく、もっと明晰でもっと深く、もっと完全なものーがあるまで、六年の期間がありました。このより深い覚醒が起こるためには、六年間のエゴ消滅の期間が必要だったのです。私はそれを振り返ることができます。ですから、私も大多数の人たちと違っていないのです。最初の目覚めの一瞥のあと、私たちはより明晰でより深い現実(リアリティ)の認識へと導くプロセスを経験するのです。 

アジャシャンティ“ あなたの世界の終わり ”P37〜39







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