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ハートの観点


道端にたんぽぽが咲いているように、
すべてそのまま、どうぞここに在りなさい。

そんなハートの観点

それがマインド抜きで、言葉、思考的なプロセスを必要とせずに起きるハート。

ハートからしたらすべて許されてる。

マインドはそれを「正そう」とするかもしれない。
マインドからしたら非現実的だったりするけど、
ハートからすると「ま、いっか。」
むずかしくない、シンプル、通り過ぎていく。
なんでもなさは冷淡や味気なさというより寛容。

考える心はマインド出発。
マインドからマインドへ、マインド内ぐるぐる。
基準が正誤優劣白黒だからどーしても厳しくなり、
基準を満たさないものを正そうとしたり、変えようとする。
白黒ゆえに多様性がわからない。

機能する心はハートのまんま。
ハートのままマインドが機能する。
過剰ではなく必要最低限に。
それはまるでハート(愛)のために、
全体(愛)のために、マインドが働いている。

マインドが自我なら、ハートは無私(愛)

「ハート」という言葉があるから使うけれど、
ハートを理解したり把握することはできない。
理解を超えたところにあるハート
そんなふうに描写することはできても、
それはもう、それではないし、永遠にわからない。

理解とはひとつを別々にする作業だから。
理解とはひとつを別々なものとして見かけ上、分断していく作業。

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