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セナのCA見聞録 Vol.17 一週間で地球を一週半、そしてその後 後編

帰りのフライトではシニアのCAから、「普通なら一時間半の休憩がもらえるのに、今日は45分なんて短すぎる」と文句を言われ、「人手の全然足りないスタッフィングの中で出来る限りのことをしているのに。」とちょっと辛いこともありましたが、そんな程度のことはフライトが終わってしまえば後に残りません。

これがこの会社でCAとして働くいいところのひとつといえると思います。
毎回乗務するメンバーが違い、一回、一回の仕事の区切りがはっきりしているので、次のフライトに前のフライトから何かを持ち越すということがないのです。
極端にいえば、固定した人間関係のないかなりのストレスフリーな職業といえるのではないでしょうか。

さて、二日ぶりにまた戻ってきたシカゴでは、さすがにホテルの部屋から一歩も出ずにひたすら眠りました。

ところが夜中の変な時間に目が覚めてしまうのはどうしようもなく、非常食用にいつも持ち歩いている菓子パンとチョコレートで朝三時の空腹をしのぎ、その後なかなか寝付けず数時間後にまた眠たくなったところで目覚ましがなる、という辛い朝を迎えました。

朝七時まで夜通しぐっすり眠りたいのに眠れない、なんたる苦痛!

翌日は幸い、デッドヘッドで成田へ帰ることができました。

「あなたはもう、ここ7日間ずっと飛びっぱなしなんだから、この便で働きたくなかったら、また何か変更が起こる前にさっさとここから離れて飛行機に乗っちゃいなさい。」とからかわれながら、空港のオフィスを後にしました。

そして、これから渡る大きな海、太平洋のことを思い浮かべました。

日本を出てから、太平洋、北アメリカ大陸、大西洋、ヨーロッパ大陸と一日おきにどんどん遠くへ飛んでいき、今その復路にいます。すごい距離をたった6日間でよく飛んだものだと、我ながら驚きました。

成田へ到着した時には一週間で地球をぐるりと一周半近くしたことになります。なんとも特別な一週間でした。

さて、このフライトから戻った二日後、体に異変が起きました。

朝目が覚めると、どこも体を動かさないうちから、何か体が変だと分かりました。起き上がろうとすると、体のどこもかしこも痛いのです。関節という関節が痛く、電気のスイッチを押すのすら痛い。口の中がとても痛いので口を開けて中を見てみると、なんと、何十個もぶつぶつと歯茎に口内炎ができていました。気持ち悪くてみていられず、すぐに口を閉じました。「何これ?」

動くたびに頭、関節と体のどこかに痛みが走るので、横になる以外は何もできませんでした。食べる飲むというのは口の中がしみるし、痛いしで、結局何も手をつけられません。

この日は夜の便でハワイへ飛ぶ予定になっていました。

一年に一度必修で受ける緊急事態やトラブルへの対応に関する研修に参加するためです。

しかし、これではとても無理だと、しゃべるのもやっとの状態で会社に病欠の連絡を入れました。

「いったいどうしちゃったの?」と私はベッドに横になりながら不安にかられました。熱を測ると微熱がありました。動くことが苦痛なので、とりあえず夕方までずっと寝て過ごしました。

夕方、電話がなりました。母からでした。夜の飛行機でハワイに発つことは既に知っていたので、出発前に声を聞こうとでもしたのでしょう。元来親に心配をかけたくない性(症?)の私は、「うん、ちょっとね、疲れ気味であんまり調子よくないから、今日からのトレーニングはお休みもらったもらっちゃた。二、三日ゆっくり休めば大丈夫だと思うから。」とやんわりと体の不調を伝え、電話を早めに切りました。

翌朝、アパートのドアベルで起こされました。真っ暗にした部屋からインターフォンをとって痛い顎を押さえながら、「どちら様ですか。」と聞くと、父と母でした。「二、三日休みとったんなら家で休みなさい。」と私を連れに来たのでした。

「何? 突然。電話も入れないで。」と驚いてドアを開ける私に、「休んでいるところを起こしても悪いでしょう。どうせ一人じゃ何もできないだろうから。」とパジャマのままの私をさっさと車に乗せると実家へとんぼ帰り。二時間くらいで家へ着くとすぐにふとんをしいてくれ、夜は葛湯や、りんごのすりおろしなど、流動食的な汁ものをいくつも用意してくれました。

翌日病院へ連れて行ってもらうと、お医者様からは「疲労が重なってちょっと体がびっくりしたんでしょう。一応ツベルクリン反応と血液の検査はしておきますが、そう心配ないと思いますよ。」と言われました。

その翌日はまた父母二人揃って成田まで車で送ってくれ、そのまま私のアパートに二人共一泊し、食材の買い出し、炊事掃除などの世話をしてくれました。夜にはおばあちゃんから電話が入り、「大丈夫かい。十分休んで体を大事にしなさいよ。」とさらにいたわって頂き、私は「ごめんね、おばあちゃん、私のせいで一人でお家のお留守番させることになっちゃって。私なら大丈夫だから。どうもありがとう。」と言いながらうるっと涙声になりました。

体はしんどくて大変な思いをしましたが、両親、祖母からの溢れ出るばかりの愛情が心の奥底までしみ込んで、魂は嬉しく幸せでした。

10数年ぶりに久々に両親に甘えた数日でした。

お父さん、お母さん、おばあちゃん、本当にどうもありがとうございました 🙏



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