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セナのCA見聞録 Vol.30 接客の醍醐味

成田―シカゴ便 🛫

私はビジネスクラスで働いていました。

12時間を超えるフライトの中盤を越えたころ、静かな機内を歩いていると、ビジネスクラスの非常口脇で後ろから声をかけられました。

「ちょっと君、あのCA、どうにかならないの。サービスは全然なってないし、それどころか、失礼極まりない。気分を害されて、ゆっくり休むどころじゃないよ。」

ファーストクラスからカーテンを超えて出てこられたこの50代前後の男性客は、たまらなくなって苦情を申し出にきたのでした。

「それは、失礼致しました。何か私にできることはございますか?」と伺うと、「いや、君にどうこうしてもらいたいわけじゃない。ただ、もう我慢できなくて席を立ったまでだから。でも、これだけははっきり言わせてもらうよ。もう二度と君の会社は使わない。僕はいつもX航空かZ航空のファーストクラスで飛ぶんだが、今回はどうしても都合がつかなくてこの便以外とれなかったから、仕方なく乗ったんだよ。それにしても、こんなにひどいファーストクラスのサービスは初めてだ。」とかなりご立腹のようでした。

これは会話の矛先を変えなくてはと思った私は、彼の英語のアクセントがドイツ人ぽいところに目をつけ、「お客様はひょっとして、ドイツのご出身ですか?」と伺うと、「そうだよ。どうして、わかった?」と驚かれたようでした。

私は、この仕事につく前まで数年スイスに住んでいたので、フランス人の英語、ドイツ人の英語、イタリア人の英語はたいてい区別がつくという話をし、今はどこに住んでいるのか、そこにはどれくらい住んでいるのかなどをドイツ語で質問すると、この男性客は意外そうながらもドイツ語で気持ちよく答えて下さいました。

「よし。しめた。」と思った私は、「もし差し支えないようでしたら、どういう関係のお仕事をなさっているのか伺ってもよろしいですか?」と会話を更に進めてみました。

すると、彼は瞳の虹彩を使って人物の照合をし、個人認証を行うというバイオメトリクス(生体認証)の機械を製造する会社を経営していると言いました。この方法なら、自分の体の一部なのでパスポートや運転免許証のように偽造されることもなく、また指紋のように薄れたりすることもないうえ、正確さは限りなく100%に近いとの数値分析結果も既に出ている優れ物で、この製品を世界中の空港に導入してもらえるように、各国を飛び回って出張しているとのことでした。

「それはおもしろいですね。そのような素晴らしい技術がまもなく私たちの職場や生活の場にお目見えするのもそう遠くないんでしょうか。」と興味をもった私は更に質問を続けると、「ちょっと待ってて。」とこの男性客は一旦その場を離れて座席に戻り、そしてすぐにご自分のブリーフケースを持ってビジネスクラスに戻ってきました。

そして中から彼の製品が実際に試験的に使われた空港での新聞記事を二枚取り出し、「これがドイツで、これがシンガポールで出た新聞記事だよ。」と私に見せてくれました。

それはA4サイズの大きな紙面で、彼の顔写真付きでかなり大きく取り上げられた記事でした。「Wow, すごいですねえ。ここまで自信を持ってご自分の製品を世の中に出すまでには、さぞかし長く地道な研究開発期間があったことでしょう。世の中に役立つ製品を開発されている方々の日々の努力には私は常に敬意をもっております。お客様もとても立派なお仕事をされていると尊敬致します。」と新聞記事に目を通した後に本気で賞賛しました。すると、この男性客はこれからの計画や抱負まで気持ちよく話して下さいました。そしてそれからしばらくして「じゃあ、そろそろ自分の席へ戻るよ。」と、ファーストクラスの最前列の席へ戻っていかれました。

私は目標を持って精力的にがんばっているビジネスマンの元気を少しばかり頂いたような気がして、最初に受けた苦情などすっかり忘れて、「よし、私も見習わなくては!」と気持ちをしゃきっと真っ直ぐに正された思いでその後の仕事を続けました。

私を喜ばせたのはその後です。

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