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結局大丈夫になる

たけさんがケガをしてから、3~5日に1回、
たけさんのお母さんから電話がかかってくる。

「ケガの様子はどうですか?
しっかり治して、外に出てしっかり働いてもらわなきゃ。
そろそろ好きなことやろうってのはあきらめて。
子どものために、イヤな事でも我慢して働くのは必要だよ。
ケガしただけで収入途絶えるんだから、しっかり保障のあるとこに
働きに出た方がいい。
実際やってみて、もう厳しいっていうのはわかったでしょ。
今は我慢して働いて、
子どもが巣立ってから、自分の好きなことはやればいいんだよ。」

って内容と

「子どもたちはどうですか?
保育園は、学校はどうなった?
ちーぼーは学校行けそうですかね。
くうちゃんは相変わらずだよね。
問題はくうちゃんだな、まあいつか道が見つかる。
元気ならいいか。」

だいたいこのふたつ。+介護してるおじいちゃんのこと。

電話で話してるときはさらっと聞いてたけど、
改めて文章に書いてみたらなんか私の顔が曇るのを感じる。

40歳過ぎた息子のやることを、そこまで管理しなくても、
息子がやりたいようにやらせてあげればいいじゃんって思う気持ち。
そして私にでなく、息子のたけさんに直接言ってよー。
まあ、言っても聞かないのがわかってるからか。

ケガをしてから定期便でくるこの内容の電話。
すこしうんざり感を感じる自分がいた。
3~5日に1回のペースだったから、さすがにちょっと疲れたかな(笑)

昨日電話をきる時にお母さんが言っていたことば。
「さとこちゃんには迷惑と苦労かけてごめんね。
息子がしっかり稼がないもんだから。
借金だけはしないで。困ったらすぐ連絡ちょうだい。」

母親って、こういうもんなんだろうなと思った。
今の子どもの状態は、親である自分の責任もあるって。

気持ちもわかる。
でも今の行動を決めているのは、たけさんであり、私であり。
気持ちはとてもありがたいんだけど、行動も在り方も自分たちで決めていきたい。

その気持ちを今の私にあてはめる。
子どもたちが決めた行動に口ださずにいられるかっていうと、
内容によってそうでもないときがある。

子どもの人生は子どもが決める。
私とは別。
そこの区切りってなかなかむずかしい。
だって大事なんだもん。分身みたいに感じるんだもん。

だからお母さんの気持ちも、言いたくなるのもわかる。
でも、今の私たちのやりたい方向を支えてくれる言葉な感じはしない。

くうちゃんが問題ってとこも結構ひっかかる。
学校行かないってそんなにダメなこと?
どっちでもいいよ、行くか行かないかなんて。
くうちゃん自身には何も問題ないよ。

イヤなものをしっかり認識すること、
これも大事な気がする。
私にはこれは、不要です。それをしっかり認識することで
そうでない方向を選ぶことができる。

私がみたいもの。フォーカスしたいとこ。
愛。
お母さんの息子や孫に対する愛情。
「今」が幸せで楽しいと感じる瞬間。

私にとって不要なもの。
将来への不安や恐れ。

ここまで書いてて、くうちゃんがそばにきた。
書いてる内容を説明すると、

「ふーん、たけさん、好きなことして過ごせばいいじゃんね。」
「おばあちゃんは、収入の心配してるんだよ。」
「そうなんだ。確かに今はそうかもしれないけど、大丈夫な気がするよ。」
「そうだよね、私もそう思う。」

そんな話をした。
くうちゃんが大丈夫って言うんだから、
私も大丈夫って思うんだから、大丈夫。

私の中にあるつながりの弱い部分を認識させてくれた今日。
しかも自分で文章に起こすということがきっかけの見事な自作自演(笑)
でもこの気持ちがあるからこそ、そうでない部分にも進める。
弱い部分も、不要と思う部分もやっぱり大事。
そこにとらわれすぎると苦しくなっちゃうだけ。

なんだかんだあっても、今までだって大丈夫になってきてる。
結局は大丈夫に落ち着くんだと思う✨
だから何も心配いらない。

私は何かになりたいんじゃなくて、
私になりたい。私で在りたい。
私は私でいいし、
イヤだと思う瞬間があった相手もそのままでいい。

連休明けて動きだす人の多いだろう今日。
色んな気持ちがうごめく中で、
くうちゃんの
だいじょうぶだよ~
ってオーラを今日はおすそわけします💕

今日も最後まで読んでくれてありがとう✨


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