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愛情と執着の違い

子供たちに、たけさんとお義母さんの言い争いの時
どんなこと感じていたのか聞いてみた。

くうちゃんは、
「意味のわからない言葉もあったから全部はわからないけど、
 たけさんも、おばあちゃんも
 僕のことバカにしてるみたいで嫌だった。」って。

自分はどこも具合悪くないし、
毎日のんびり幸せに過ごせているのに、
病気と言われたことが、バカにされていると感じたとのこと。

「確かに、それは嫌だったよね。
くうちゃん自身には何も悪いところはないよ。
私はくうちゃんのこと大好きだから。」

と話す。


ちーぼーは、
「たけさんがなんか偉そうに言ってる感じがして嫌だった。
 あと、おばあちゃんはどうしてねっちが一番って言うんだろう。
 ねっちはゲームは全然できなくてちーぼーのが上手なのに、
 どうして僕やくうちゃんのことダメっていうのかな。」

こんなことを感じていたみたい。

「偉そうに言ってる感じがしてたんだ。
 それが嫌で泣きそうだったのか。
 ゲームが上手にできること、私はすごいと思うよ。
 くうちゃんも、ちーぼーも、だめなところなんて何一つないよ。」

そう言って抱っこして、
ふたりとも自分のゲームに戻っていった。

今朝は動画みて大爆笑してる。

私ほど、昨日のことを
重要事項としては感じていないってことがわかった。
自分には関係ないことだって思ってるって。

こういう確認ができるようになったこと、成長したなと思う。

前は私がとらえてるのと同じように、
子供たちもショック受けてるだろうと必死でフォローしようと
動いたりしてたけど、
ここはやっぱり私の方の課題だなと確認できた。

たけさんのお義母さんとの関わりが増えていく中で、
私の考え方をしっかりお義母さんに伝えること。

大事にしたい部分はしっかり伝える。
ここはしっかりやっていきたい。

お義母さんが自分のとらえ方を変えたいと思えば、
変わるための要素の提案はできると思う。
でも、変わってくださいというものでもない。

お義母さんの通したい部分もあるだろうし、
抑えきれない習慣もある。

だからそれを私もしっかり理解して、
違うところと同じところを確認する。

お義母さんの今の価値観を子供たちに伝えたうえで、
お義母さんのエネルギーに惑わされることなく、
自分の空間、エネルギーを保っててもらえればいいなと思う。

みんな違うのが普通。
だから、どこかに合わせるんでなく、
理解しあっていければいいのかなって思う。

まあ、お義母さんはなかなかに強いけど(笑)


親である自分が否定されないように、恥ずかしくないように、
そして子供が「自分の結果」かのように
自分のために相手や状況をコントロールしようとしてること、
私はたくさんやってきたと思う。

あなたのためだよ、と言いながら
自分のためにコントロールしようとする。

でも最近、自分の中にその自分を見た時に、
自分自身が気持ち悪いと思った。
私はその場にはもういたくないと思った。


自分のために、相手や状況をコントロールしようとするのは
執着。

相手のことを思いやったり感謝するのが、
愛情。

素直に自分はこうしたいんだな、
そこに正直にいればいいだけで、
相手をコントロールしようとするから
うまくいかない感覚になるんだろうな。

ここまで考えて、

夫婦関係にもあてはめてみたら、
父親役割とか、家族という概念に対して
私の好みの行動を全くしてくれないたけさんだけど、
たけさんに対する愛情はあるんだなと思った。

行動に惑わされず、ラベルに惑わされず、
本質を見ていきたいな、
そんな風に思います。


あー、昨日から、思考がフル回転。
自分のありたい方向に、
思考を動かしていけるようになれば、
考えることが出来るのも素敵なことだと思える。

ひっさしぶりにこんなに考えた気がする(笑)

今日は頭を休めよう🎵
そして、ゆっくり休もう☕


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