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泣いていいんだよ

「泣いていいよ」を許可した日。
昨日は私の卒業式になった。

3月9日あたりから、3月16日が来るのがなんとなく気持ちがざわついてた。
自分が揺れるのがわかっていたから。

3月16日は長男くうちゃんの小学校の卒業式。
もちろん、くうちゃんはいない。

3月9日に、レミオロメンのMV見ながら曲を聴いた。
卒業式の場面。
先生が話をして、涙して、生徒たちも泣いている。

私が知っていて、私が経験してきた卒業式と同じ。
私自身の小学校の卒業式は、中学の制服に身を包んで、
大泣きした記憶がある。

くうちゃんはそういう道を選択しなかった。

でも私は、正直、
中学校の制服を来ているくうちゃんを見てみたかった、
そんな気持ちが今もあったみたい。

「卒業証書?いらなーい。
 式も興味ないよ。」

その返事が返ってくるのはわかりきっていたけど、

でも、やっぱりなんかさみしさを感じる自分がいた。


くうちゃんは学校の先生とは交流はほとんどなかったけど、
私はお世話になったし、
気にかけてくれていたのもすごくわかるし、
最後くらいくうちゃんの顔を見せたい
そんな気持ちも出てきた。


この6年間、
いっぱいがんばって笑ったな。

孤独感、責任感、罪悪感、色んなことを隠すために、
明るく前向きに振舞ってたと思う。
平気を装っていても、なんかずっとどこかさみしくて。

悔しくて泣きながら
疲れ切って動けなくな自分にもむちうって、
逃げてる場合じゃないよ、しっかり向き合わなきゃ
そうやってがんばって涙を抑えたときもたくさんあった。

私も、子どもたちのことも
認めて欲しいって必死にもがいてたんだろうな。

自分で自分のことを認めてあげることできなかったから、
他の人から認めてもらおうと必死だった。

でも、これ、もういらないな。


いろんな気持ちが押し寄せて、涙が出てくる一日。

昨日はただただ、そのまま、
何も考えなくていいから、
思考で感情をとめないようにして、
自分をどんどん泣かせてあげようと思った。

さみしかった
不安だった
悲しかった
つらかった
しんどかった
怒り
絶望感
罪悪感


無意識的にどんどん押し込めてたまった気持ちを
全部だして感じさせてあげようと思った。

周りの人の卒業式の写真を見て
さみしさとせつなさが勝って
素直におめでとうが言い切れない自分がいる。

そんな自分を認識するのが嫌で、
きっとここ数日気持ちがざわざわしていたんだろうな。

でも、そんな自分は確実にいる。



看板もお花も片付けられた夕方に、
卒業証書を頂きに私ひとりで小学校へ。

校長先生、教頭先生、担任の先生、支援級の先生、他にも2人。
先生たちはくうちゃんの卒業のために時間を作って下さっていた。


「最後くらいくうちゃんのお顔を見せたかったけど」
そういった私に

「それも彼の選択ですから」

校長先生は、そう言ってくれた。

校長室での卒業式。
くうちゃんの卒業証書を頂いて、
私は私の卒業宣言をさせてもらった。

「 自分の過去の経験や、私の価値観を通して子どもたちを判断すること、
 そんな自分をそろそろ卒業します。」



私のまぶたの裏には、子どもたちがいる。

子どもたちは私を強くもさせてくれたし、
弱くもさせてくれた。


卒業から一日たって、
3月9日の歌を聴いてみた。

卒業式の映像でそこにいないくうちゃんを見て
せつなくなって泣いていた私から

今日入ってきたところは

「新たな世界の入口にたち
 気づいたことは一人じゃないってこと。」って歌詞。

この6年間を支えてくれた沢山の人たちの顔が思い浮かんで
私を成長させてくれた沢山の出来事も思い出されて
今度はありがたくて泣けてきた。

もう2日連続なみだいっぱいで
目がしわしわでぼったりしてるよぉ( ;∀;)

来週は、スリングに入ってくうちゃんと一緒に付き添い登校をしていた長女が
卒園を迎える。

目の周りの保湿をしっかりしておこう。



卒業したい自分がいたら、
この春に卒業させてあげよ。きっと出来るから😊

卒業、おめでとうございます✨
新しい門出に乾杯🍻




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