“生きる。” 【鬱日記1】

何者かになりたい。
いや、なれなかったとしても
ここに生きてきた何かを残したくなった。

ずっと活動者として生きたかった。
小さい頃から少しだけ目立ちたがり屋だった。
でも、同じくらい引っ込み思案でもあった。
さらに、変なプライドが邪魔してなかなか前に踏み出せなかった。

活動するにはインプレッションがどうとか、
フォロワーがどうとか、すぐに収益見込めないと格好悪いとか。
ストーリー性が見込めないと伸びないとか。

何もやらない状態で言うのは楽だから。
やろうと思えばできるけどやってないで言うのは簡単だから。

でもね、わたしが生きてきたことを
何かの形として残したくなったんだ

文章を書く仕事で売れなくてもいい。
完璧じゃなくてもいい。笑われたっていい。

この文章がわたしの生きた証だ。




25歳、無職、うつ病。
唯一の取り柄であった多少容姿が整っているという長所も、
過食症か何かで20kgくらい増えてしまった。

更に、今借りている賃貸を3月末で出ていかないといけない。
無論、実家には帰れない。まさに絶体絶命。
マッチングアプリを使って同棲前提で付き合える彼氏を作り転がり込むという魂胆だが、体が上手く動かないおかげで実行できてはいない。

わたしは生きるためには手段は選ばない。
ーーーいや、選べないのかもしれない。

でもずっと、心の中で
ここで生きてていいよ、と思う安心感のある居場所を
求めているような気がする。

頼れる親戚も身寄りもいない。
助けてって言いたい。
ーーーーもうそういう年齢じゃない、自立したらって怒られるだろうか。
精神的に成熟してないまま、歳だけ大人になっていく。

「自分のお世話くらい自分でできるようになんないとダメだよ」
「男に頼るのは良くないよ」

帰れる家があって、両親健在で、ご飯を作ってくれて。
そんな家庭なら私の気持ちなんか分からないでしょう?

根っこから安心できる環境が無くて
根っこから否定されて生きてきた。

やりたいこととか幸せって、
最低限の経済基盤の上に成り立っているものなんだよ。

今は、ただ生きたい。
死にたくない。

そんなわたしの“生きる“話。


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