あるコガネムシの数奇な一生
拙宅の長男は現在5歳。男の5歳児といえばもう底抜けにアホでサルでどうしようもない。
基本的に余計なことしかしない。興味を惹かれれば何かの途中であろうと一目散に突っ走る。協調性ゼロ。
お友達の女の子に叱られてシュンとなるけど、すぐ忘れて同じことを繰り返す。学習能力ゼロ。
訳の分からない言葉を叫んで常に何かと戦っている。みんなを守っているらしいが、むしろジャマ。
そんな何の役にも立たない小さなヨッパライみたいなもんが我が家に棲み着いているのですが、彼には幼虫アンテナが付いているようなのです。
※今回は建築はちょっと休憩して全く関係のない話を書いてみます。長いです。虫の写真は出てきませんのでご安心ください。
幼虫アンテナ検知!
彼は2歳頃から虫探しにおいて類まれなる探索・捕獲能力を有していました。アリやダンゴムシはもちろんのこと、アメンボやバッタなどの機敏なヤツらも何故か彼の手中に簡単に収まるという特殊能力。
放っておけばポケット一杯に虫たちを集めてしまうので、家の手前の公園でポケットを裏返すという習慣をつけさせました。
ある日、その習慣を知らない祖母と散歩に出かけ、小さな白い幼虫を家まで持って帰って来ました。
え、幼虫?イモムシです。イモムシって土の中じゃないの?と聞けば、どうやら掘り当てたとのこと。どうやって???という疑問はさておき、キラキラした眼で育ててみたいと言うので、そうなれば小木を見る矢作の如く「お前のやりたい事は何でもやらせてやろうと思ってるんだ」と言わざるを得ない。
(おぎやはぎが僕のバイブルなので。前記事参照)
とりあえず、ちゃんとしたケースを買ってくるまで適当な瓶に土入れて幼虫を入れておくことにしました。
失踪
数日後、飼育ケースと専用土を入手しました。さあさあ移し替えてやろうと瓶を空け土を出すと、、、居ない。え、???
そういえば、さっき瓶のまわりに土が落ちていた。玄関の脇の飾り棚。本来ならばシャレた花でも飾るべき渾身のウエルカムスペース。
息が出来るようにと蓋を開けておいたのです。瓶の内壁はツルツルなのでどうせ登れないだろうと。ところが居ない。イリュージョン!下駄箱の中、玄関、廊下、そしてルンバの中まで探しまくったのですがやはり居ないのです。
息子の深い落胆、そして妻のイヤダイヤダイヤダという低いつぶやき声、未知なる恐怖心に包まれたどんよりとした週末を過ごしたのでした。
※未だに見つかっていません。靴の中とかにいたら嫌だなぁ。
幼虫アンテナ検知!(2回目)
失踪から数日後、母と公園に行きまた幼虫を今度は2匹!持って帰って来ました。聞けば雑草を根っこごと引き抜き、その下の土を少しだけ掘って見つけるという奥義を開発済みだとのこと。
天才じゃないか!ちゃんと効率よく探す方法を考えて編み出していることがスゴい!(←親バカご勘弁ください)
そんなにご執心ならばやっぱり飼おうという事で前回出番のなかった飼育ケースに入れつつ、幼虫が一体何者なのかを調べることにしました。
コガちゃんとガネちゃん
子どもたちの通う保育園には昆虫に異常に詳しいY先生という男性保育士がいます。自宅で何十匹と飼育しているらしく、そのコレクションの一部を保育園に持って来て生き物コーナーを作ってくれています。生態なども学べるように置いてある資料も工夫されており、とても有り難いです。
昆虫マスターとして男児からの尊敬を集めるのと反比例して、同僚の女性保育士からはどんどん気持ち悪がられていくという状況にも全くめげることのないナイスガイ。
そのY先生に写真を見せて聞いてみると、小さいこと(このとき11月で2センチ程度)、色が黄味がかっていることから、まず間違いなくカブトムシやクワガタではない。コガネムシの仲間ではないか?とのこと。
それを息子に伝えるも「ふーん。」という薄い反応。そして「ぼくのクワガタがね、、、」と話し出す。もしもし話聞いてました?
あ、そうか。5歳男児には何を言ってもダメなんだった。
息子がクワガタだと思いたいのならばもう何も言うまい。けどせめてクワガタと呼ぶのだけはやめてほしい。だから名前を付けることにしました。
コガネムシだからコガちゃんとガネちゃん。
こうして夢の同居生活がスタートしたのでした。
ガネちゃんごめんなさい
コガネムシの幼虫は何を食べているのかを調べてみると、駆除・予防・対策とかばかり出てくる。ガーデニングの世界では厄介な害虫として位置づけられていることが分かりました。
ほほう、我々は害虫を飼育しようとしているのか。いや息子が正義のクワガタだと信じて疑わないコガちゃんとガネちゃんは、悪者などではないはずだ。と思い込むことにしました。
同じ甲虫の仲間なのだからカブトムシ用の土の中に入れておけば土の養分を食べていけるだろうというのがY先生の見解。
ましてや害虫ならば生命力も強いだろうし、少々スパルタでも大丈夫だろうという気持ちが僕の中にあったことは否めません。。。
幼虫は適度な湿度を好むようです。飼育ケースの蓋はアミアミなので乾燥しすぎるのを防ぐため間に新聞紙を挟んでおいたのですが、それでも冬の乾燥する時期、そして多分飼育ケースが小さいのか土がすぐに乾いてしまいます。週に一回以上は土に霧吹きで水をかけ、かき混ぜてやる必要がありました。
2月頃までは順調に2匹とも少しずつ大きくなってきていたのですが、ある週に水やりを忘れました。いや2週間分だったかも知れない。慌ててすっかり乾燥して固くなってしまった土を掘り返してみると、ガネちゃんが縮こまって動かなくなっていました。
まぁコガちゃんかガネちゃんかは分からないのですけどね。
あーやってしまった。大人のだらしなさで死なせてしまった。
子どもたちは、なんで動かないの?と無邪気に聞いてくるので、
ちゃんとお世話しなかったから死んでしまった。
生き物を本来いるべき場所ではないところに連れてきたらお世話をしないといけないんだ。
という話をしました。
そして、残されたコガちゃんを死なせないようにみんなで協力しよう。
これからは週末になったらコガちゃんに水をあげることに気付いた人がすぐに発令するように!ということにしました。
公園の奥の方に少しだけ穴を掘ってガネちゃんを埋め、みんなで手を合わせました。
ガネちゃんごめんなさい。人間は勝手です。
幼虫アンテナ検知!(3回目)
そんなこんなで迎えたある春先、保育園からの帰り道、突然に植込みの土を掘り始めた息子。そしてまたもやいとも簡単に幼虫をゲットし、それを道行く人に見せびらかすという新手のハラスメントをしていました。
持ち帰ってコガちゃんと一緒に飼いたいと言うのですが、今回は真面目に考えて止めました。時期的にそろそろ変態がはじまるころ。一冬親しんだ環境から動かすのは可哀そうだと思い、そっと掘り出したところに戻させました。
その後毎日「あそこ掘っていい?」「ダメ。」「なんで?」「だーかーらー・・・」というやりとりをしています。
相変わらずの5歳男児っぷり。
というか彼のこの能力は何かに活かせないだろうか?
徳川埋蔵金とか、ベーリング海のゴールドラッシュとか。大金持ちになれるぞう!
蛹化(ようかと読みます)
そんなこんなで甲斐甲斐しく毎週末になると霧吹きで水を土にシュッシュするという日々を半年ぐらい送りました。水やりのリマインドをするのはほぼ常に子ども達。よく続いたものだと思います。
にも関わらず、ある日コガちゃんを見ると前の週よりも二回りぐらい小さくなっていました。
動きもとても緩慢。湿度はちゃんと確保していたはずなのに、土の交換頻度が低かったのだろうか?毎週のように土から出して観察していたのがストレスだったのだろうか?と色々考えるのですが分かりません。
あまりにショックだったので、とりあえず現実逃避して一週間ほっておくことにしました。←コレ悪い癖ですね。
もう固くなって死んでしまっているんだろうなと思いながら一週間後、土を空けてみると幼虫はおらず、その代わりにクリーム色のHARIBO(グミ)みたいなやつが出てきました。
なんと蛹(さなぎ)になっていたのです。
なんということでしょう。まさに劇的ビフォーアフターです。
その蛹の神秘的なこと。ぷよぷよで柔らかそうでありながらもう顔らしきものが分かる。生きたHARIBOそのもの。
ひとつの生命体が次の形になろうとしている。その過程の命運を僕らが握っているという緊張感。
なんとも言えない感動を覚えました。
コツコツ半年以上お世話してきて本当に良かった。
Y先生に報告すると、蛹になる前に幼虫が縮こまるのは正常で前蛹という状態らしい。死んでしまったと勘違いしてそこで飼育を辞めてしまう人も多いらしいです。現実逃避しておいてよかった。
カナブン疑惑
その後約2週間、ついに蛹から出始めました。
あれ、これってコガネムシ?カナブン?
慌ててイメージ検索。カナブンのほうが頭が四角くてコガネムシの方が丸っこいようです。僕のイメージと逆だったけど、無事にコガネムシであることが判明。さすがY先生面目躍如。
上半身から脱ぎ始めて前足を動かしている様は、まるでナウシカのオウムのようでかわいらしい。
そしてどんどん色が濃くなっていき玉虫色に光り始めてくると、幼虫の時に餓死寸前までなった子が(←おまえのせいだ)こんなに立派になってと、もう娘の結婚式の父親のような気分にまでなるのでした。
羽化不全
ところがいつまでたっても仰向けのままでいるのを不審に思いひっくり返してみると、背中が無い。正確には背中の羽とその甲羅が無いのです。なんとなくこれから出来てくるような感じでも無い。
調べると羽化不全という現象らしい。原因は色々あるのですが一番疑わしいのが蛹室の崩れ。
通常幼虫は蛹になる前に蛹室と呼ばれる部屋を土の中に作るようですが、毎週土から出して観察していたために、コガちゃんは蛹室を作れませんでした。なので人工的に蛹室を作ってあげる必要があったのです。
土を手で固めて窪みを作り蛹室としたのですが、その壁が少し崩れていました。オアシスをくり抜いたりという方法もあったのですが、めんどくさそうという思いが勝ってしまい、その場にある材料で出来ることにしていました。
いま思い返すとなんて傲慢なのでしょう。生き物を育てているのにめんどくさいのが嫌という態度。
そのせいでコガちゃんは羽を作れませんでした。そして、脚の力もあまり無いようで歩くこともままなりません。
今はゼリーをケースに入れてあるのでゼリーの近くに置いてやると食べているようなのですが、気がつくとゼリーに頭が埋まってしまって動けなくなってしまう。それを引き抜いて土の上に戻してやらなければなりません。
このまま餌を与えない方が良いんじゃないかという考えもよぎります。あっさりとそんなことを思いついてしまう冷酷さにも嫌悪感を抱きます。
無責任な思考
実はこの話を書こうと思ったきっかけは、友達から「田舎からたくさんカブトムシを貰ったから要るか?」との連絡があったからです。
「お、良いじゃん!貰えるってよ!」と妻に言うと怪訝な顔。「コガちゃんは?ちゃんと看取ってからじゃない?」とどストレートな正論に電撃が走りました。
カブトムシはカッコ良いからラッキー!と一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしいです。
子どもたちに生き物を飼う責任とかを説いておきながら、あまりにも無責任な思考。
そんな自責の念に駆られながら瀕死のコガちゃんを子どもたちと観察すれば、子どもたちはコガちゃん可愛いね!と言って嬉しそうに眺めています。
正直言って、本当に申し訳ないけど僕にはかわいいという感情はもはや無く、ただただ苦しそうにしているとしか思えない。
どうしたらその苦しみを取ってあげられるのかが全く分からないことも苦しい。
ここまで何カ月も生きてきて、やっと成虫になったのに一度も羽ばたくことが出来ないままにコガちゃんは死んでいくのです。
その人(虫?)生の大半の約8カ月もの間、成長に携わってきた僕たちがもっとうまくやっていれば。。。と考えるとやるせないです。
もしうちに連れて来ることさえしなければ、今頃は自由に大空を飛び回っていたかもしれない。そう考えるとやりきれないのです。
自然界にいたとしても無事に成虫になる確率は低いものだということは分かっているのですが。。。
いのちを見守る
子どもたちはそんな大人の忸怩(じくじ)たる思いはよそに、毎日家に帰ると真っ先にコガちゃんを見に行っては可愛いね可愛いねと言っています。
昨日、そんな子どもたちを見ていて、ふっと、あーそうか。これでいいんだ。と思えました。
失敗だったんじゃないか。とか、もうすぐ死ぬだろうから。とかそんなことはどうでも良い。
今、コガちゃんは生きています。大空を飛ぶことは無いけれど、他の成虫よりも寿命は短いかもしれないけれど彼なりに頑張って生きています。
僕たちのせいでコガちゃんは完全羽化が出来なかったのかもしれない。そうじゃないかもしれない。いや多分そうなのだけど、そこは本当に申し訳ないのだけれど、僕たちはただそれを見守ることしか出来ないし、それを続けるべきなんじゃないか。
子どもたちは、ただただお世話を続けてきたコガちゃんを引き続き愛でているだけ。でもそれこそが、連れて帰ってきた責任を全うするということなんじゃないか。と気付かせてくれました。
子どもは偉大です。
これを機にいのちの大切さを教えてやろうなんて思っていた計略的な僕よりも、ずっとずっと大切なものを感じ取る力を本能的に持っている。
そんな風に思えました。
多分コガちゃんはもうすぐ死にます。
僕たちのしたことの反省をしつつ、みんなで最後まで大切に見守っていこうと思っています。
noteを始めてから、考えていることをどう書いたら伝わるだろうかと試行錯誤することが楽しくなりました。 まだまだ学ぶこと多く、他の人の文章を読んでは刺激を受けています。 僕の文章でお金が頂けるのであればそのお金は、他のクリエイターさんの有料記事購入に使わせていただきます。