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照らされた私の中の『PERFECT DAYS』

この記事は映画『PERFECT DAYS』の個人的な感想です。
作品の内容に触れる表現がありますので、気にされない方だけお読みください。


ザザッ ザザッ ザザッ
映画の中で役所広司さん演じる「平山」は朝、目覚まし時計のかわりに外から聞こえるホウキの音で起きる。
心地よい雑音は一定のリズムを刻み、平山は寝ながら窓の右上へ視線を流す。
今日は晴れそうだ。
身支度を済まし、小さな植物達に霧吹きをして、まだ薄暗い外へ出ると空を見上げて、微笑む
トイレ清掃員平山の1日の始まりだ。



私が劇中で一番最初に泣きそうになったシーンは、
平山さんがトイレ清掃中、二日酔いのサラリーマンらしき男性がドタドタと入り込んできたときのことだった。
平山さんは掃除の手を止め、流れるようにさっと身を引き外へ出る。
「利用者」が入ってきたらそのようにする決まりがあるのだろう。
一連の動作に無駄がなく、習慣であることが伺える。
トイレの入口に立ち、手を後ろに組んで空を見上げる。
そうして木漏れ日を見ては「ふっ」っと笑った。
私は瞬間的に、ぐっと涙が込み上げてきた。
このときは、なぜこのシンプルなシーンに心揺さぶられたのか分からなかった。
物語が進むに連れて、何度かこういう場面が登場する。
映画タイトルは当初「木漏れ日」だったそうだ。
見上げれば誰しもに平等に降り注ぐ優しい光に、助けられた経験が平山さんはあるのだろう。
私は彼の「この瞬間を味わっているような慈しみ」に、尊さを感じたのかもしれない。
でも平山さんは僧侶でもなければ聖人でもない。
実際、仕事のトラブルで声を荒げることや、過去の精算できないような悲しみも背負ったまま、人間の複雑さを併せ持っている。
その「ふっ」には、自分なりにいい人間でありたい、という願いや悲哀が滲みでいるような気がするのだ。
舌打ちをしてもおかしくないような場面で「ふっ」と平山さんが破顔微笑すると、私の方がほっとしてしまう。
そこには相手の見返りを求めたり期待をすることがない。
そうして「あぁ、肩の力を抜かなくては」と思うのだった。

世の中綺麗事だけじゃない、というのは知っている。
ともすれば、THE TOKYO TOILETのPR映画かよ、と呼ばれかねない(そういう側面ももちろんあるが)作品だ。
監督のヴェンダースはロマンチストだと思う。
現実の厳しさをドキュメンタリーで切り取って、問題定義して、警鐘の鐘を鳴らしたいと、この作品で表したいわけでは無さそうだ。
皆の共通する、時に非情で素晴らしくもある「日常」から、心ときめくシーンを抜き出し、この映画に取り込みたいと試行錯誤しているように見える。
私はそれをキャッチしたい。

『PERFECT DAYS』を観終えて、なんでもないと思っていた誰にも話すことのない、私の地味なルーティーンは、きらめきを放つように浮かび上がってきた。
仕事前マックで15分コーヒーを飲むとか、
湯たんぽを入れるとか、
娘の髪を結うとか、
毎日繰り返すルーティーンは、自分が心地よく居るためのもの、愛おしい誰かのためのもの、だった。
『PERFECT DAYS』は日常に木漏れ日の温かさをくれる。
大きな俯瞰の目で、人間の生活を見つめ直す。
そして私も「こんなふうに 生きていけたなら」と思うのだった。

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