映画『はだかのゆめ』感想
独り言のようで、詩を感じさせる台詞たち。
それは四万十の広大で見知らぬ絵画に似た自然の中に、ひっそりと埋もれて響く。
10/22UPLINK吉祥寺にて映画『はだかのゆめ』を観てきました。
小説の発売記念上映のため、磯部涼さん(音楽ライター)、甫木元空(ほきもとそら)さん(本作監督)のトークショーも開催されました。感想を交えて記録します。
あくまで記憶や個人的解釈で書いているのでご理解下さい。
本作は小説が先に完成している。
監督は数年前に、闘病する実の母と祖父の暮らす高知へ移住した。
2人との何気ない日常会話、そこで生活する人に様々な聞き取りを行い、静かに積み重ねたルポのようなものから物語は構築されている。このことに関して、民族学者の「宮本常一」の『忘れられた日本人』の話題が出る。
今回の対談していたお相手の磯部涼さんは『ルポ川崎』の著者でもある。
その事件の「聞き取り」についての違いもトークに交えながら監督は
「民俗学者の人の声に耳を傾けて、記録してゆく形式は自分にあっているし続けて行きたい。」
と語った。
映画の中で印象に残った場面は、実際にそこで生活している祖父の尊英さんが(祖父役)カツオを捌いて藁焼きにしタタキを作るところだ。
とある日常の一幕。ありのままの「生の姿」は力強い。
生きているもの、死んでいるもの、根付いてるもの、演じているもの、そのコントラストが強くなったシーンでもあった。
スクリーンに燃え上がる火だけが映る。生活のための火だ。
もう一つ、目を見張る火のシーンは四万十川の風物詩「火振り漁」の光景だ。
船に乗り、松明の火を振って鮎を追い込む漁法である。
墨を垂らしたような闇にユラユラと浮かび上がる炎は、死者の国の光景に思えた。
私はしだいにあの世とこの世の境が分からなくなってゆく。
高知県には「沈下橋」という名称の橋がある。
雨で川が増水し、橋が流されるのを事前に防ぐため、最初から水に沈むことを想定して手すりが無い。監督はこの
「あるがままの自然の現象を受け入れる。」
という風習に影響を受ける。
雄大で人の手のコントロールが利かない自然の中の撮影は、10分くらいで天気が変わってしまうこともしばしば。
スタッフからは
「この映画、シーンが繋がらないね。」
と話が出たそうだ。
快晴の方が似合うシーンでもスケジュール的に不可能な場合
「じゃあどうやったら曇りに合うシーンが作れるだろうか?」
と考え
「自分の思い通りにならないところを、妥協じゃなくてどう発想の転換していけるか。そういったものに振り回されて、抗うのではなく受け入れる事に興味がある。」
と撮影の心持ちを語った。
本作は監督が多摩美術大学在学中、教授だった青山真治氏のプロデュース作品でもある。
恩師の青山真治氏は
「周りの人をもっと撮っておけば良かった。」
と甫木元監督に呟いたことがあった。
その思いは、劇中にノロが母に洋服を渡せず
「生きているもんが生きているもんに渡さんでどうする。」
と己に投げかける言葉に重なる。
このセリフは私の中にじんわりと染み込んだ。
孫に囲まれて忙しなく過ごす実家の母のこと、体力の落ちた父の背中を思い浮かべる。
亡くなる前、病院へ行き渋る祖父の額を撫でたこと、介護センターにいる祖母にやっとひ孫を見せられたこと。
娘、夫、親戚、友人。大切な人はそう多くはない。
ノロの後悔の念は
(できるなら、生きているうちにしたほうがいい。)
と私に言い聞かせるようだった。
この映画は、母を亡くした甫木元監督のドキュメンタリー映画ではない。必要な時間の経過を持って、現実との距離を保ち、自叙ではないある一つの形となっている。
そして黄泉の国と現実世界がうっすらとグラデーションになり、いくつかの時間が交差している。
見たことのない死生観でもある。
脅すような死への恐怖も、脚色された生の喜びもなく、生者と死者はただそこに「ある」だけだ。
両者はお互いを肌で感じながらも、目線が交わることはない。そのもどかしさに、切ない悲しみが行き渡る。
四万十と吉祥寺をつなぐシアタールームにはそっと『Bialystocks』の静かな音楽が響く。
ノロの母は、先に逝ってしまった息子のことを心配する。
息子は「ノロマ」だったから、此岸に来るのも彼岸に帰るのもギリギリだ。いつもの調子で呟く声は温かい。
ラスト、闇を裂く列車と共にあの世へ走りゆくノロの姿は美しく、死の匂いをまとっていた。
年齢を重ねると、人生の中で別れは度々来る。
その人達と私の見えない関係性や空間は映画『はだかのゆめ』の中にあるのかもしれない。
川や雨の音、虫の鳴き声が、人の声より響き渡る四万十市にいつかいってみたい。
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