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「new paradise cinema」(イタリア映画)と「クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲」(日本アニメ映画)から見る郷愁(ノスタルジー)

お久しぶりです、先日、ミッドナイトサマーを見てたら体調が悪くなったlittle winです。2021年も残り100日を切り、皆さんもどこか「焦り」や「来年に迫る新しい環境への不安」を感じているのではないでしょうか?私もそうです。今も自分の将来の選択に日々、モヤモヤしています。そのような心が不安定な時、私たちは決まって過去に固執する、つまり、「ノスタルジー」を求めるようになります。今回は、この「ノスタルジー」を2つの映画から捉えていこうと思います。

「new paradise cinema」から見る郷愁(ノスタルジー)

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先日、友人から進められてこの映画を見ました。時間がゆっくり流れる田舎町の初老の男性と1人の青年の物語です。映画の終盤で、都会で働くために村を出ようとしている青年に対して、初老の男性が厳しい口調である言葉を投げかけました。

Non ti fare fottere dalla nostalgia!
「郷愁(ノスタルジー)に惑わされるな」

ノスタルジー

この言葉を聞いたとき、あまりに深く自分の心に刺さってしまい、思わず映画を見るのをやめてしましました。初老男性が青年に投げかけたこの言葉にはどのような真意が含まれているのでしょうか?

・郷愁(ノスタルジー)にとらわれるということと田舎町

 私たちは何か新しい環境(就職)に飛び込んだり、大きな転換期(就活など)を前にして、少しメンタルが不安定になると、必ずと言っていいほど「楽しかった/のんびりしていた過去」を思い出し、あの時代に戻りたいと強く思います。

 例えば、就活中の大学生が「果てしない未来が広がっていて、まだ何者でもなく、この時が永遠に続くように感じていた高校生活」に戻りたくなってしまいます。このような「楽しかった/のんびりしていた過去」を私たちは「郷愁(ノスタルジー)」と呼びます。もちろん、私たちは高校生に戻ることは出来ませんし、いつまでも過去に郷愁に囚われていては前に進むことが出来ません。

 ただ、「郷愁(ノスタルジー)」自体が悪いといっているわけではありません。郷愁を感じるような時代から何十年と経ち、改めて郷愁に駆られてあの頃を思い出すと、そこで初めてあの頃の自分に対する「意味付け」が行われます。定年を迎えた初老の男性が故郷に帰り、街中を歩くことによって郷愁を感じたあの頃の自分が自分の人生においてどのような意味を持っていたかを理解するというようなことです。

 ただ、この「郷愁(ノスタルジー)」に常に支配され続ける環境が存在しています。そう、それが「田舎町」です。批判を覚悟で述べさせていただくと、「田舎町」は社会からある程度、隔離されており、都会の時間軸とは違う時間軸で過ごしています。そして、「田舎町」のコミュニティのメンバーはそうそう変わるものではない、つまりよそ者が入ってくることはありません。故に、その「田舎町」に生まれ、長い時間を過ごすと、「郷愁(ノスタルジー)」を感じたあの頃から連続する時間を過ごすことになります。つまり、見知ったメンバー、見慣れた空間、慣れ親しんだ伝統・慣習ということです。これが「郷愁(ノスタルジー)」に支配されるということです。

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 ここでようやく映画の話に戻りましょう。この初老の男性は「田舎町」に生まれ、「田舎町」で生涯を終えました。つまり「郷愁(ノスタルジー)」に支配され続けたのです。残念ながら郷愁に支配され続けていては、新たな挑戦をすることや「郷愁を感じるあの頃の自分の意味付け」を行うことが出来ません。これは言葉では表すことが出来ないほど残酷なことです。だからこそ、初老の男性は青年に「郷愁(ノスタルジー)に惑わされるな」といったのです、自分のように「郷愁(ノスタルジー)」に支配され続けないために。

すいません、長々と書いてしまいました。どうでしょうか、初老の男性の発言の真意はつかめたでしょうか?次の項目では「クレヨンしんちゃん」の映画からノスタルジーを考えてみます。

「クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲」から見る郷愁(ノスタルジー)

大人帝国


 最近、姉が「クレヨンしんちゃん」にはまっていまして、永遠とサブスクでクレヨンしんちゃんの映画を見まくっています。私もたまに一緒に見たりするのですが、思わず泣いてしまった映画があります。それが「クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲」です。この映画は「郷愁(ノスタルジー)」を題材としており、公開した2001年には社会現象となっていました。

 簡単なストーリとしては、しんのすけの両親は突如として、ヒーローごっこをしたり、魔法少女になりきったりなど、子供のようなふるまいを始めました。このような現象の背景には日本全体を懐かしく、みんなが明日に希望を持てていた、昭和のあの頃に戻そうとする人間の企みが影響していました。

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・私たちは「郷愁(ノスタルジー)」を求めてしまっている?

このような「郷愁(ノスタルジー)」を求めるという行為は、私たち全員が行ってしまう行動です。上記の項目でも説明したように、何か新しい環境(就職)に飛び込んだり、大きな転換期(就活など)を前にすると、楽しかったあの頃に戻りたいと思ってしまいます。そして、この映画の登場人物たちもそのような願望を持ち、昭和の街並みや空気を再現した空間に移住し、自ら願って、あの頃の人間として生きるようになりました。まさに、映画のこのシーンは「郷愁(ノスタルジー)に支配されている」ことを意味します。実際に、日本を昭和の戻そうとする悪役のケンはこのように発言しています。

「昔、外がこの町と同じ姿だった頃、人々は、夢や希望に溢れていた。
21世紀はあんなに輝いていたのに、今の日本に溢れているのは、汚い金と、燃えないごみぐらいだ。」

さらに、悪役のケンのパートナーのチャコもこのように発言しています。

「外の人達は、心が空っぽだから、物で埋め合わせしているのよ。
だからいらない物ばっかり作って、世界はどんどん醜くなっていく。」

この2人に共通している点としては現代の社会に辟易して、「郷愁(ノスタルジー)を感じるあの頃」に戻りたい、実際に戻った点です。そして、彼らは「郷愁」に支配された世界の住人となります。

 ただ、映画に限ったことではなく、現在を生きる私たちも「郷愁(ノスタルジー)」に支配されようとしている傾向が見て取れます。これを学術的には「ノスタルジーの消費」と言ったりします。具体例を挙げるならば、「クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲」が公開された後、一種の「昭和ブーム」のようなものが訪れます。2000年代は「always三丁目の夕日」が大ヒットし、昭和の歌謡曲のリメイクや昭和を舞台としたドラマなどが多く見られました。近年では給食レストランや駄菓子居酒屋、廃校をリノベーションしたホテルなど新しい形の郷愁を消費でき、一時的に支配されることが出来るようなものが現れました(ちょっと違うかな、、、?)。大学生がよく使う「チルい(chill)」という言葉も一種、郷愁のようなものを読み取ることが出来ます。

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(↑駄菓子居酒屋)

では、なぜこのような現象が発生したのか?やはり慢性的な経済の停滞というものが考えられます。1990年代以降、日本は慢性的な経済の停滞に直面します。いくら頑張っても報われない、常にクビにおびえている、少ない給料で家族を養わないといけない、さらには人間関係もより個人主義的なものへと変化していきました。そのような時、人々は郷愁を感じていたあの頃に戻りたいと強く思ってしまいます。故に、このような「ノスタルジーの消費」が発生したのではないでしょうか?

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まとめ

いかがでしたでしょうか?途中から自分でも何を書いているかわからなくなってしまって、今から読み返すのが少し怖いです。今回は「ノスタルジーのに惑わされるといこと/支配されること」を中心に書いていきました。何もノスタルジーが悪いという話をしているのではなく、よりよい付き合い方を探っていく必要があるという趣旨でした。これから、「就活/就職」を迎え、精神的に不安定になられている方は一度、「ノスタルジー」との向き合い方を考え直してみてもいいかもしれません。

あーあ、よくわかんない文章を書いてしまったな!(笑)

では!bye!



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