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『遠慮して』お腹がいっぱいでも食べ続ける。

こんにちは。
天音です。

みなさんは、「遠慮」する機会はあるでしょうか。

私は本当に昔から「No」というのが苦手で、とにかく勧められたことは頑張ってやってみる、ということをやって自爆する、ということを繰り返してきました。

その代表例として挙げられるのが「遠慮して、お腹がいっぱいでも食べ続ける」ということです。

たまに祖父母の家に行くと、歓迎してたくさんのご飯を出してくれるのですが、その量がとにかく多い。

そしてひもじい思いをさせないようにと、いっぱいお食べ、と出してくれるのはいいのですが、さすがに多すぎるため、すぐにお腹がいっぱいになります。

そうすると、祖母が寂しそうに、
「もういらないの?口に合わなかったかしら?」
と聞いてくるんですよね。

そりゃあ、悲しませたくないから、「美味しいよ、でもお腹がいっぱいだよ」
と答えますよね。

そうすると安心してくれるのはいいのですが、また際限なく出されるご飯たち。

ご機嫌で出してくれるので、なかなか断りづらい。

私は昔からこういう場面での対応が苦手でした。

そのため、いわゆる過食嘔吐ですね、お腹いっぱいをとうに通り越して、食べ続け、最終的には吐くという、なんとも哀れな子ども時代を送っていました。

そこで最近になって、「なぜNoというのに抵抗があるのか?」という疑問を持つようになりました。

ちなみに遠慮をする心理というのは一般に以下のいくつかの理由があるそうです。

  • 相手に対する配慮

  • 厚かましく思われることへの不安、嫌われる不安

  • 自分に対する厳しさ、甘えてはいけない思い込み

  • 素直に受け取れない

  • 対人不信

  • 土地柄の習慣


私の遠慮の場合は、まさしく「素直に受け取れない」「相手に対する配慮」の行き過ぎた形だと思われますが、本当に人間関係とは難しいものです。

いずれにせよ、必要な支援は素直に受け取れるといいと思いました。

また、「No」と言えない理由に関しても、こちらもさまざまあるらしいです。

  • 社会的期待とプレッシャー

  • 自己肯定感の低さ

  • コンフリクトの恐れ

  • 育成環境と教育

  • 社会的・文化的要因

社会的期待とは、私たちが所属する文化やコミュニティ、職場や家庭内で共有されている、行動や態度に関する暗黙のルールや標準のこと。

「No」ということで、この社会的期待に反した行動をとってしまうのではないか、というプレッシャーがかかるということがあるそうです。
これが続くと、ストレスが増えたり、燃え尽き症候群、うつ病になるリスクが高まるそうです。


また自己肯定感が低いと、自分の意見や感情が他人にとって価値がないと感じることが多く、その結果自己犠牲を伴う選択をしてしまうことがあるそうです。

私の場合、この自己肯定感の低さが「No」と言えない大きな原因の一つでありそうです。

コンフリクトとは、人間関係の摩擦のこと。
人間は社会的な動物なので、基本的に安定した人間関係を望んでいます。

このため。人間関係の摩擦や衝突を避けたいという心理が働くことで、「No」ということを難しくしていることがあるそうです。

教育や文化に関しては言わずもがなですね。

特に日本人の文化的にも「No」と言いずらい部分があるかもしれないと思います。

解決策としては、
「自己肯定感を高める」、
「Noという練習を小さなことから始める」、
「断り方を予め考えておく」、
「もう少し柔らかい言い回しを使ってやんわり伝える」

など、その原因に応じた解決策があるようです。

私の場合はこれらの全てにおいて練習が必要そうですが、遠慮やNoというのが難しいという原因がわかって少しスッキリした気がします。

できるものから実践していけば、少しでも生きやすくなるかもしれないですね。

ではまた!

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