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闇夜に浮かぶ奇跡の一本松【三陸旅行記#3】

日没後の気仙沼から、BRTで奇跡の一本松を見に行った。一人で。

※この記事の内容は、2018年3月の旅行に基づいています。また描写はあくまで佐倉の主観をもとにしています。

津波被害を受けた高田松原に、たった1本残った松の木。その松がモニュメントにされたものが、今回訪ねた「奇跡の一本松」。
その周りには「一本松茶屋」なる施設があり、飲食ができたり、お土産が売っていたりする。

ニュースでよく見るあの「松」は実際どんな感じなのか見てみたい、と考えたのだが、今回の行程では私がたどり着くのは日没後になってしまう。青春18きっぷ弾丸旅行の限界である。

その時間帯には、一本松茶屋は閉館している。
しかし調べると、午後9時ごろまでライトアップがされているとのこと。

ならば行けるであろう。
…今思えば、よく言えばアクティブ、悪く言えば無謀な行為であった。

闇夜と輝く一本松

気仙沼から盛行きのBRTに乗り、「奇跡の一本松」で下車。

あたりは相当暗い。当たり前ではあるが。普段街灯の多い地域に住んでいることもあり、予想以上の暗さにびびる。以下、陸前高田市のwebサイトより、「奇跡の一本松」の夜間観覧に関しての引用。

※奇跡の一本松の歩行者用通路には照明設備がありません。夜間にお越しの際は懐中電灯をご持参ください。また、午後5時以降(6月~8月は午後6時以降)~午前8時頃は、しおさい橋のフェンスを施錠するため、奇跡の一本松には近づけませんのでご注意ください。

この記述を読んでいたので、懐中電灯は持っていたし、覚悟はしていた。

しかし、現地に貼ってあった貼り紙は、より厳しかった。

… 夜間の一人行動は避けてください。

いやそれ、今言われても困ります。もうここまで来てますから。1人で。
周りにはもちろん、こんな真っ暗の時間帯に奇跡の一本松ライトアップを見に来る物好きは見当たらなかった。

大丈夫。きっと大丈夫。
こんな場所、人を襲う物好きすらいないはず。

自分に言い聞かせて暗い通路を歩くこと10分ほど。
歩いたところで、夜間なので奇跡の一本松に近づくことはできない。遠巻きに見ることしかできないのだが、できるだけ近づいて、大きい姿を見たい。その一心で歩き続ける。
周囲はやはり盛り土の工事中なのか何なのか、通路の両端は覆われていた。

一本松は遠くで、ぼうっと照らされていた。
歩ききった先で見た奇跡の一本松は、こんな感じ。

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真っ暗な中に光り輝く松(のモニュメント)。
ライトアップ…に違いはないのだが…イメージとちょっと違った…しかし神々しい。

『暗闇の中の希望』ってこんなものなのかもしれない。不安と緊張ばかりの心で、そう思った。
希望があっても周りが暗闇であることに変わりはない。でもそこに希望があることで、暗闇を歩くことに意味や理由が生まれる。
どこかドキドキしながら金色の松の形を眺めて、絶望と希望について、盛り土工事を見つめる人々の過去と未来について、少しの間思いをはせた。


真っ暗な停留所

そしてやっぱり暗い道を戻り、BRTの停留所へ戻る。
そこで帰りのBRTを待つのだが、

そこの暗さと景色が、今でも鮮烈に心に残っている。

停留所の存在すら近づいてみないとわからない。
腕時計も懐中電灯で照らさないと見えない。
あまりにも暗く、もしバスが来なかったら、なんて嫌なことばかり考えてしまう。

バスがやってくるはずの通りは、海と直角になっている。

通りの丘側のほうは、街灯や建物がまばらにある。しかし、バス停の少し山側で途切れている。バス停の周りから海にかけては、ひたすら土の盛られた更地。

街灯や建物が途切れている理由について、考えてしまった。
2011年までは、この位置から松原にかけても民家があったんだろうか、―

暗さのわりに、見える星の数も少なかった。


しかし、先ほど私が松に向かって歩いた、暗闇のエリア。
あそこも一面松林だったはずだが、残りの松はどこに流れていったのか。
松も街並みも一切合切なくなってしまった、となると、さぞやショッキングだったろう。

いっそ全部の松が流れてしまって、松林の存在が思い出になってしまえば、何もなかったように復興の工事が始まったのだろうか。
あるいは何本か残れば、こんな風に寂しくはならなかったのか。

2本でも0本でもなく、ただ1本だけ残った松。
闇夜に遠く照らされる松は、そこに松林があったことを示す標のように見えた。

~続く~


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