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それで結局、私は今でも生きている。【誰も読むまいと思って書くnote】

ずっと前から、私は病名がほしかった。
今日(このnoteを書いている日)、やっと心療内科に予約を入れた。人生で初めての心療内科。

私がずっとほしかった病名がつくのか、
それともこれまで自分がそうしてきたように、「気のせい」と言われるのか、
今はまだわからない。

だからこそ、今まで私が感じてきたこと、今の思いを、書きなぐりたいと思う。「結局今でも生きている」私の話を。
※これは他人が読んで楽しい物じゃないと思う、そこのところは最初におことわりしておきます…

情緒不安定な子供だった私。
小さい頃は「さっき泣いたカラスがもう笑った」で済まされたけれど、その不安定さは成長するにつれ歪んできた。

小学校4年生の時に、クラスでいじめ(ニュースとかでやってる壮絶なものではないけれど)に遭った。
毎日下校後に「しにたい」と泣いていた。
でも純朴だった私は、リストカットの方法なんて知らなかった。飛び降りるのは失敗して骨折しそうな気がしたし、首をくくろうにもいい感じの場所が見つからない。幸せな小学生である。

諦めて、風呂に顔を突っ込んだ。息が苦しくなると、顔を上げてしまう。それが生きたいってことだ、本当にしにたいとしたら、水に顔をつけてしねるはず。

それで結局、私は今でも生きている。

それからいじめ(?)は収束したけれど、私の情緒不安定は収まらなかった。

数か月~数日に1度、「病み期」がやってくる。その期間中は夜になると落ち込んで、何も手につかなくなる。
病み期以外の期間、また日中は元気なので、家族以外にその不安定さがばれることはなかった。いじめの件以来、人間関係がトラブル続きだった私に、それを相談するような友人もいなかった。ぼっちなのは昔から今まで同じであった…

私が迎えた最大の病み期は、高校3年生の頃だった。

大学受験に向け、勉強に本腰を入れたはいいものの、なかなか上がらない成績、溜まるストレス。だが第一志望は小学校時代から憧れていた大学で、断じて志望校を下げたくはなかった。

その結果が、人生最大の病み期だった。
当時の日記は禍々しすぎて、簡単に開くことが出来ない。

これまでいかに病んでいても、身体的には健康そのものだった私(朝が弱く、居眠りが多いことを除いては)。しかしそんな私にも、体の変化があった。

味のないもの、例えば白米、ゆで卵などが食べられなくなった。ほおばってしまうと吐き気があらわれる。いつ考えても謎な症状だが、我が家の朝はご飯、かつ食べないと授業中にお腹が鳴ってしまう(そこは健康体)。毎朝必死でふりかけをかけていたが、間違って白いご飯だけを食べてしまったときは涙目で飲み込んでいた。
そして脚にはじんましんが出て、1年続いた。椅子に座っていると痒くなるので、受験生にはつらかった。受験当日、持ち込んだひざ掛けをひざに掛けず、座布団代わりにしてしのいでいた。

もちろん精神的にも参ってくる。
そのときは流石にリスカの方法は知っていた。しかし幸か不幸か、私はサスペンスドラマも見られないほどの血液恐怖症。手首を切ることはできなかった。
一度、泣きながら扇風機のコードで首を絞めてみた。でも怖くて、思い切り引っ張ることはできなかった。その後数日首にコードの痕は残っていたが、首のシワに紛れて誰にも言及されなかった。

その後も、どうにかこうにか受験生活を切り抜けた。憧れの第一志望には落ちたものの、現役で合格して大学生になることができた。
もし、病んで勉強が手につかなくなる時期がなかったら…とは思う。しかし、「朝目が覚めて、目が覚めたことに絶望する」というどん底を知ったことは、私をだいぶ逞しくしたと思う。

それで結局、私は今でも生きている。

大学に入ってからは、それなりに穏やかで幸せな生活を送って、目が覚めることの絶望もだいぶ忘れることができた。

ようやく情緒不安定を脱することができたかな。と思った。
しかし「情緒不安定」という曖昧な言葉は、昔から好きではなかった。

確かに私が「情緒不安定」であることに間違いはない。
だが、病み期に味わう絶望は、「不安定」という一言で済ませてしまうには、私にとって深すぎた。

「うつ病」の可能性も考えた。
しかし駅やバスに貼ってあるポスターによると、「眠れない」「食欲がない」がうつの兆候だという。であれば、過眠ぎみ、ときおり過食ぎみの私は健康である、はず。もっとちゃんと頑張れる、はず。

なのになんで、こんなに落ち込むんだろう。

私はいったい何がおかしいんだろう。
それを知りたくて、病名がほしかった。病名があれば、辛いと言っても、休んでも、許されるような気がしたから。これがただの思い込みで、私の心が弱いだけで、さぼっているだけと思わなくてすむから。

それで結局、私は今でも生きている。そのことが大変なことだと、誰かに認めてほしかったのだ。

…と、ずっと抱いていたそんな気持ちも薄れかけていた矢先の、この1年。

病名がほしい、という私の願いを裏付けするように、うつ病のような症状が多く出るようになった。
症状はこれまでのように断続的で、時期が過ぎると嘘のように元気になる。またやはり過眠ぎみなのは変わらなかった(睡眠外来で検査をして、「もしかしたら過眠症かもしれないが、たぶん慢性的な睡眠不足」という診断を受けた)。

しかし、調べてみるとうつ病にもいろいろな形があり、そのうちの1つが私のこれまでの症状に近い、ということを知った。ありがとうグーグル先生。断続的でも、日中元気でも、ただの思い込みではないだろう、と少し安心することができた。

さらに最近は日常生活にすら支障が出ている。
これまで体に支障がないからと、自分をなだめすかして生活していたのだが、そうもいかなくなった。

最後の一押しは、来月から週5日働く会社員になるということ。
休んでごまかすことも、そう簡単にはいかなくなる。スケジュール的にも立場的にも、今のうちに診断をつけておくことが得策だと思った。

何より、私は今でも生きている。
せっかく生きているのだ、幸せでいたい。

というわけで、心療内科にかかることにしました。

かかったからといってすぐに、楽になれるとは思っていない。
しかし初受診は、私の病み期との戦いの重要な節目だと思う。

これからどうなるのかも、今後noteに記録していきたいと思っている。

いつか、私のこういう記録が、過去の私みたいな誰かの手がかりになればいいな~、と願いつつ、今日はそろそろ寝ます。おやすみなさい。

この乱文を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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