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自分の物語を生きる覚悟を決める

新R25で読んだ「“斜陽産業”なんて幻想だ。「銭湯2.0」を掲げる小杉湯が人を集められる3つのワケ」という記事が、とても良くって、何度も何度も読み返してしまいました。
「銭湯」と聞くと、もう時代遅れで、終わっている産業、おじいちゃん達が沢山いる所。というマイナスイメージがとても多いのだけれど、3代目の方の新しい切り口によって、銭湯を「斜陽産業」と呼ばせない。強いエネルギーと愛情をびしばしと感じる記事でした。

特に下の部分。

結局ね、「斜陽産業」って幻想なんですよ。最初に入社した住宅販売でもそうでした。住宅不況といわれてたけど、活躍してる人はしてるし、結果出してる人は出してます。どんな業界でも、中の人が一番「斜陽」って思い込んでて、何もしなくなっちゃってると思うんですよね。
「自分の物語を生きる覚悟を決める」ってことですかね。斜陽でもそれが自分の物語だと思えるか。なんとなく働いているだけとは、エネルギーの出方が違うと思います。


これ、私の場合で落とし込むと「紙のメディア」に対しての見方。かなぁ。と。組織でお仕事していると言われるんです。「印刷産業が斜陽だから、印刷以外の新しいモノを提供できる様にならないといけない」と。

そして躍起になって新しい媒体に手を出したりするの。時代に追いつけ。取り残されるな。って言って。新しい技術を常にお客さんに提供できる事がいいことなんだ。と思い込んで。で、それに対してなんとなーく。斜に構えて自分の仕事をしてしまったりするんです。よく分からないけれど。カッコつけたりして。それって、多分、所属している組織から言われている事を頭では理解して、新しい事を学んだりしてかなくちゃなぁ。と感じているけれど、どうにも腹落ちしていない部分が自身の中にあって、それはもしかしたら「わたしこんなに紙というメディアが好きなのに、斜陽だなんて言わないでよ!」っていう、今まで自分たちが歩んできた物語をここに来て突然否定される悲しさからくるものなのかなぁ。と思いました。今まで自分たちが誇りに思っていた仕事を突然「古い!」なんて否定されたら傷つくからなぁ。

あとは、キャリアをある程度積んでしまうと、型ができてしまいその型にただ落とし込んでいくだけの作業になってしまい、愛情がなかなか生まれてこないパターン。とか。自己啓発やハウツーの情報に汚染されすぎて、感情的にならず冷静に仕事するのが「できる社会人だし」と思い込んで、何でもドライに処理してしまう事とか。あとは何だろう。専門知識に溺れすぎて、無知さや鈍くささを馬鹿にした様な態度をとり、評論家目線な事ばかり語る様になってしまっているとか?

上記に対しては私自身も、心当たりすぎて書いていて恥ずかしいです。

でも、そこから私自身がとる行動は、「紙のメディア古いー。やーめた。」じゃ無くて、「えーー!印刷物ってめちゃくちゃいいよね!このインクの匂い!いい匂いだね。そして、この紙質みてよ。すごく拘って選んだんだよ?」と、相手が若干引く位語れる、愛情を持った行動を多くしていく事かなぁ。と。だって、確かに印刷は斜陽だけれど、無くなるなんて思っていないし、むしろ高価な媒体になっていくんじゃないのかな?っていうワクワクしたイメージすら感じるから。


この方の「斜陽産業は幻想。どんな業界でも、中の人が一番「斜陽」って思い込んでて、何もしなくなっちゃってると思うんですよね。」という言葉を聞いて、私自身の仕事に対する考え方を見直す機会になりました。

「自分の物語を生きる覚悟を決める」は、まず私自身が、自分が歩んできた今までを大好きになって否定しない。
あとは、今いる世界に対して、変にかっこつけて引いて見ないで、どっぷりハマる。夢中になる。これからは、そんな生き方をしていこうかな、と感じました。しかし、よーく考えていくと私自身ぼーっとしていて?普段から余り感情の上下が激しく無いこともあり、「うわーーーこれ大好き」「めちゃくちゃ語りたい」というモノがスッと出てこないです。「あー。あんこ好きだから、あんこについては少し煩いよ?」と言える位かなぁ。(あ、でもデザインのお仕事はめちゃくちゃ好きかも知れない)だから時々出会う変質的に好きなモノ・コトがあって、その偏愛ぷりを凄いエネルギーで語ってくれる方は、すごい好き!憧れる!という感情が芽生えます。

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