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名もなき家事を見える化「しない」メリットについて考える

ハンドソープの詰替え、枕カバーの洗濯、台所スポンジの交換、ゴミ箱のゴミ袋掛け…。
こうして書いているだけで、なんだか気が遠くなりそうだ。

家事分担最適化の手法として「名もなき家事の見える化」は、もはや定説である。
まだ名を持たない家事の一つ一つに名をつけ、共有する。相手の「ええっ、そんなにあるの!?」と驚く顔を見る。
この時点で、この定説における最初の目的はすでに達成されているのではと思う。
それは、相手は「やらなかったのではなく、知らなかっただけ」なのだと思えることだ。

しかし、この知らなかったんだもんフェーズを過ぎた今、わたしは名もなき家事の見える化に、それほど有意性を感じていない。



その理由は大きく二つある。

一つ目は、他人と細かく家事基準を擦り合わせることに、そもそもの絶望があることだ。

これは我が家特有のものかもしれないので簡潔に記すと、たとえば夫の洗濯。ピンチハンガーが大活躍する。靴下・パンツはもとより、Tシャツやバスタオルまで一個の洗濯バサミに引っ掛けて「いっちょあがり」とのたまう。
先日は、洗った食器の片付けを頼んだら、カトラリー専用の狭い引き出しに大小さまざまなタッパーが息苦しそうに突っ込まれていた。
その前は、口の開いた「レンジでパラっと!本格炒め炒飯」が冷凍庫の中でそれはそれはパラッパラに散らばっ…ううう、ダメだ。どうしても夫への愚痴は長くなる。そしてなんだか泣いちゃいそうだ。

とにかく、自分がこうでなくちゃ!と思う家事の在り方は、必ずしもひとさまの当たり前ではないらしい。
見えない家事を共有したところで、自分と同じ価値を感じて実行してくれるかどうかは、相手次第なのだ。

二つ目は、家事負担の平等を追い求めることは、意外と家庭を円満にしないと言う仮説からだ。

三人姉弟の七人家族で育ったわたしにとって、平等は正義だった。
幼い頃から、コアラのマーチはまず袋から出して全体数を確認したのちに分配していたし、フルーチェを取り分けた人間は一番最後にしか選ぶことができない、という鉄則があった。

子どもが産まれてから、わたしはさらに平等の鬼になった。

毎晩の寝かしつけに一時間は平気でかかる。真っ暗な空間で何もできず、眠れない子どもがコロンコロンしているだけのひとときは、とてつもなく無意味に思えた。気が付けば毎日寝落ちし、やりたいことのやの字もできない自分も悲しかった。
お風呂もご飯もお着替えも、「ママがいい!」の言葉が愛着よりも葛藤のトリガーになるのに時間はかからなかった。

そして、イライラの矛先は当然のように夫に向けられていく。
わたしはこんなに自分の時間がないのに、なぜ夫は前と変わらず悠々と生きているんだろう。
自覚できるほどいつも口角が下がっている日々に嫌気がさしていた。

そこで我が家は、ケンカという名の話し合いの結果、土日は一日ずつ交代で子どもを見ることにした。

ベースがケンカなので、解決策も残念ながら荒療治。
「ごはんだってお風呂だって寝かしつけだって、やろうと思えばできるでしょ!わたしだって、ひいひいやりながらママになってきたんだもの」と、半ばストライキを起こしたかたちだ。

それに伴い、その他の平等も推し進めた。生活費はきっちり分ける。出した金額の割合から、お迎えの回数を決める。夕飯作りの回数もひとりの時間も、全て平等の名の下に計算していく。

そしてわたしは、晴れてまっさらな自由時間を満喫した。美術館へ行ったり、友達とランチしたり、独身のように優雅な時間を貪った。
何度かそんな週末を繰り返すうちに、夫も慣れていったようだった。



しかし。不思議なことに孤独を感じるのに時間はかからなかった。
土日が来る度に、夫婦の間に溝ができていった。

いつものようにひとり時間を楽しんだ帰り道、子どもは今どうしてるかな、泣いてないかな…と夫にLINEを入れたときのこと。すぐに返信があり、「別にかえってこなくていい。」と、一行のシンプルなメッセージが暗闇に光った。
その明るい画面がいたたまれず、わたしは駅に引き返した。家の窓がもうすぐ見えるとこまで来ていたのに。あのときの、塩素系漂白剤の匂いを吸い込んだような、胸にサーっといやな風が抜ける感覚は今でも覚えている。

いよいよにっちもさっちもいかなくなり、別にアパートを借りたらどうなるんだろう…というところまできて、わたしたちは土日の分担制を辞めた。
コスパもタイパも悪いけど、三人で一緒に過ごした。最初はぶちゃむくれながらの居心地の悪い時間だったが、次第に家庭にあたたかみが戻ってきた。

思い返せばわたしの平等は「相手が自分のように苦労すればいい」という思いから来ていた。自分だけ平気な顔をしている夫が許せなかった。一緒に幸せになろう、というより、苦しめばいいのにとすら思っていた気がする。

我が家の場合、家事分担のコツは、名もなき家事の見える化よりも何よりも、お互いのゴールを共有することだった。どれだけ負担が平等になったとて、そこに家族の笑顔がなければ意味がない。たまには見えない家事の手を抜いて、ゆるゆる過ごすのもいいもんだ。

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