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モノクロームカフェ またの名を、ちびブタ彼女とその一生 3(中編小説)


4. 1977 昭和52年のホテルの一室


四十年後にれいらと咲菜が待っていたのと同じ席に女性が二人座っていた。一人はこれでもかというほどのミニスカート、一人はブーツカットのジーンズでいる。席はフロアのほぼ真ん中、入り口からもレジカウンターにも近く、すべての席から見える位置にある。
二人とも口を閉ざしたままティーカップをかき混ぜている。
「咲子、ちょっとどう思う。かなえちゃんの相手」
ジーンズの彼女はロングの髪をかき上げた。顔を寄せて声を低くしてささやく。
「かなえがブタブタって言うからどんなだろうと思ってたら、ほんとにブタだったわ」

カフェの入口に白いい花が現れた。
広がったフレアを揺らしながらニュールックの彼女はどすんと席に腰をかける。
「疲れた!」
「そりゃ疲れるでしょうよ。衣装合わせがあんな騒ぎになっちゃったんだから」
ミニスカートの咲子はちょっとかがんで彼女の服をつまんだ。うす青い刺繍の蔦が網の目のように巻き付いてからんでいた。
「にしてもすごい恰好。かなえちゃんどうしたの?」
「ああこれ?」
叶江は自分をちらっと見降ろした。
「ママのを借りただけよ。ちょうど他になかったから」
「すっごい目立つ」
「そう?」
短めのパーマの髪をぱっと後ろに払って叶江は財布を取って立ち上がり、バッグはまたどすんと投げ出すように席に置いた。
服もさることながら姿勢がいいので百人に一人の容姿とまでいかなくとも顔かたちを十分に引き立てる役割を果たしていた。

コーヒーを器用に一滴もこぼさずに運んできた叶江は、座る前に少し足を曲げ腰を落としてテーブルにカップを置いた。
ジーンズの麗子は少し乗り出してテーブルの上に投げ出されている叶江の指先に触れた。
「結婚、いやじゃないの?」
叶江は赤い口を尖らせて考える風だった。そしてはっきり言った。
「まあ、いやだわね。でも仕方ないわ。誰でもいつかはするもんでしょ」
咲子と麗子は顔を見合わせる。


「しかし君、叶江は嫌とは言っとらんわけだし」
咲子と麗子は午前中、叶江が式を挙げる予定のホテルの一室で座ったまま叶江を待っていた。
目の前には上品な成りをした老人が背広姿の青年と押し問答をしている。若い男の方はぱりっとした幅広襟のスーツの中にカラーシャツを着こなしている。
「そこですよ。お父さんの苦しい心を汲んで叶江くんは一言たりとも愚痴を出さない。(咲子と麗子は顔を見合わせた)よしこの柔肌を野獣になりとも捧げよう、そう決めたからには誰一人、心の葛藤を見せてなるものかと決めとるわけですよ。叶江くんはそういう人です」
「しかし君…」
麗子が咲子にささやいた。
「だらしないわね、叶江のパパ」
口論は続いている。
「しかしと言えばだ、あのブタだブタだというのは頂けないね。叶江くんはあの調子だから、二言目にはおいブタ、とこうだ。ブタというのは失礼だよ。男にとっては最低の侮辱だ。僕は女房にそんな言葉使いを許したりはしませんね」

控え室のドアが開いている。廊下の真ん中に、小太りの小男が棒立ちになっていた。
きちんとしたタキシード姿なのに麗子は額にしわを寄せた。
何かがおかしい。違和感がある。何がおかしいのかしら?背の低い、色のしろいぽってりとした顔の男だ。頬は少したれさがってゆるんでいる。フレンチブルドックに似ている。愛嬌がなくはない…。
「君…」
カラーシャツの男が何かを指摘しようとして指をさした。
男がひょっと手を前に持ってきたので、全員の視線が下を向く。ズボンを履くべき所の下半身にタオルを巻いて、布の下からにょっきり毛だらけの足が突き出している。
日やけしていない異様に真っ白な肌が目を焼いた。長くて白い靴下とそこだけはきちんとした靴を履いている所がまたいっそう違和感がある。
咲子が頬を抑えて先に悲鳴を上げた。あとから麗子も追従した。

「キャー!!!は、は、」
「破廉恥ー!!!」
周囲は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、ホテルマンが何人も飛んできた。
「何事?」
控え室から叶江が飛び出してきた。すっきりしたストレートの、ドレスというよりワンピースを着ていて、ミニ丈なため生地に負けないほど白い足がすらっと伸びている。真っ白な光がさしてきたように、誰もがすがるように叶江の方に寄る。
「花実ちゃん!」
叶江は呼び掛けた。どうやら、小太りの男の名前らしい。
しかしあっちにぶつかり、こっちに走りと小男は右往左往していて気付かない。

叶江は眉を片方吊り上げ、声を上げた。
「ちょっと!そこのブタ!」
パニックに陥って何も耳に入らなくなっており、青くなって走り回っていた小男はブタの一言に敏感に反応した。
恐るべきすばやさでおどおどしながら小男は叶江の方に駆け寄ってくる。皆が後ろに下がって道を開けた。
叶江は持っていた服を差し出した。
「出来たわよ!早く履きなさい」
相手はよっこらしょとタオルを巻いたままズボンを履こうとする。
「ばか、中でだわよ」

叶江はコーヒーを口にあてて熱さに顔をしかめまた離した。
「あのブタ、サイズが合わないのに隠してたのよ」

尖った声が控室に使われている紫の間に響き渡っていた。
「何それ!なんでこんなゆるゆるなの?西城花実よ、あってるの?別人じゃない?」
ズボンのすそが床に落ちて白くなっている。
「いいよいいよ。大丈夫だよ」
「どこに頼んだの?担当は誰?ちょっと花実ちゃん、どこに行くの!?」
叶江は婚約者の襟首を捕まえた。
「お直しいたしますか?」
笑いをこらえながら聞いてくる仕立て屋の使いに、叶江はつんとして答える。
「結構です。頼みません」
命令した。
「花実ちゃん、脱ぎなさい」
「えーーー!?」
「ここで縫うわ」
「かなえちゃんが?」

「お前、縫い物できるの?」
この騒ぎを興味深げに観察していた叶江の兄がたずねる。
「ばかにしないで。何のために裁縫学校に通ったと思ってるの」
座って糸を口で切りながら叶江は兄をにらみ上げた。
「ほんとはねお兄ちゃんよりもあたしの方が成績良かったの。パパが女は学校なんて行かなくていいって。お金の無駄だって言うから、仕方なくあきらめたの」
小男が口をはさむ。
「それは悲しかったよね」
「恨んだわよ!当たり前じゃない。何言ってんの」

やっとすべてが落ち着いて仕立て直しも綺麗に終わり、物陰から見守っていた叶江の友人二人は相変わらず囁き交わしていた。
「やだ嬉しそう」
「目尻がたれ下がってるからなおさらいやらしく見えるわね」
叶江が見守る前で小男は足元を見て数歩、北へ南へと歩いてみている。
「かなえちゃんありがと」
だらっと垂れ下がって、ブルドックかパグそっくりの頬が揺れている。
「ぶよぶよしてる」
「汗かいてる」
「拭いてる」
「やだぁぜったい無理!」



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