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モノクロームカフェ またの名を、ちびブタ彼女とその一生 完結(中編小説)



10・ モノクロームカフェ



真亜子はカフェの入り口に立っていた。
きょとんとして真亜子は右、左と頭を動かしたが、友人二人の姿もどこにも見えなかった。
あれ、間違えちゃったかな?
店内には誰もいない。
狐につままれたような気分でいたが、真亜子はこんな時にあまり気にしない。一足、二足さっき出たばかりのカフェにまた足を踏み入れる。

腰回りが妙にふさふさしている。
真亜子は下を向いてからびっくりしたように体をひねって後ろを見ようとしたので、ねこがしっぽを追いかけているかのように、くるっと一回りしてしまった。
これ、おばちゃんがくれた服じゃない?
カフェの白い壁にはフラットな姿見がかけられているので、真亜子は前に立ち自分の姿を鏡にうつしてみる。
真亜子の腰回りを彩るのはニュー・ルックのレトロな服で、腰をきゅっと締め付けてからふくらはぎに到るまでふんわりと広がったフリルは白い花弁をさかさにした姿に見える。

楽しくなって一足、二足、歩いた。茶色の髪が肩先でふわふわ動きを添える。
盛り上がった花弁が揺れ、シルクの手触りが優しく素足に触れる。
きれい。かわいい。
壁にかかったウォーホルの絵の前を通り過ぎるといくつも並ぶ鮮やかな色が急激にぶれてにじんだ。

真亜子のゆったりと柔らかい外見の真ん中には芯があって、目覚めるたび横になるたびに少しずつ大きくなっていく。誇りと頼りともしていたその固さだが、いつかこれが皮膚を破るほど育ちはしないか。優しくしたいと願う人まで傷付けてしまう日が来るのではないかと真亜子はおそれた。

つむじ風のようにくるくる回った布の海が呼び戻したこの場所、四十年前から白く塗られた壁にかかるウォーホルの色が視線の先にぶれていく。
この四十年間、この場所はたくさんのひそかな噂話、打ち明け話、笑い声、叫びを映し続けてきた。
今もこうして呼び声に耳を傾けている。
何一つ聞き漏らすまいと。

「真亜子おいで」
そうだこの服、小さいときにおばさんが膝の上に乗せて見せてくれたっけ。
「大きくなったらあげる。きっと似合うわよ」
叶江は真亜子がつかんでいる小さなピンクのぶたのぬいぐるみを長い指で突っついた。
「あんたこれが大好きねえ。こぶたちゃん」
真亜子は耳をつかんで何か小さくつぶやいた。
「見てよ、名前まで付けちゃってる」
叶江は夫を振り返って呼びかけた。
「花実ちゃん、また太るつもりなの?ブタだからって私までブタにしないでよ!」
「これおいしいよかなえちゃん、まあちゃんも一緒に食べようよ」

だってわたしは知っている。
愛はまぼろし、気のせい、勘違いだって言われるけど、あるもの。この世界に確かに存在する。
わたしはそれを見た。

「花実ちゃんごめんね」
「どうしたのかなえちゃん」
叶江がキッチンの前に座り込んでいる。
「焦げてるしまずいの。食べれたもんじゃないわ」
「大丈夫だよ叶江ちゃん、これ、おいしいよ」
「嘘ばっかり!まずいわよ。ブタのえさよ!ばか!なんでそんなに食べてんの」
「ぶひっ」
「もう!ばか!」
叶江は涙混じりに笑い出した。
「ブタなんだから!」

真亜子がコーヒーを持って戻って来た。
どろっとしたコーヒーは濃いのに口当たりが良くて飲みやすかった。店員はいつも愛想がなくて背中から呼ぶと少しだけむっとしたような顔をする。それでこちらも遠慮なく長居が出来た。

夢かまぼろしかわからないけど、ここに戻ってきてしまったのは、心をここに残していたのかもしれない、と真亜子は考える。
優しい、あたたかな気持ちに満たされた時間が過ぎ去って、今は胸に奇妙な震動が生まれていた。

 誰のこと、考えてるの?真亜子。
 たぶん、自分のこと。

れいらは恋愛に興味がないかもしれない。一人で生きていくってもうこの年から決めている。ママの言うとおり、お見合いはわりと理にかなっているかもしれない。でも昔はそのシステムの中で 逃げ出したくても逃げ出せず苦しんでいた人がいるかもしれない。咲菜は素敵なちびブタくんが現れて幸せかもしれない。

でもそれは、わたしのことじゃない。

すべてほかの人の話だ。
衝動の果てにある未知が怖いと思っていた。何ひとつ訪れないのではないかと思うことも怖かった。いったいこれから、時間が真亜子をどこに連れて行くのかわからない。
でももう何も怖くない。

真亜子はひとつの成就、結末を見た。
叶江の顔は憑き物が落ちたように穏やかになっていた。
揺るぎ無いものはいま、あの叶江のなかにある。

そして真亜子は自分だけの物語が欲しいと願う。
その過程にどこかで待っているわたしだけのちびブタくんを拾うことがあるかもしれない。わたしが誰かのちびブタになることがあるのかもしれない。ないかもしれない。わからない。
真亜子はカップを両手で支え、中を覗き込んだ。
飲み干した痕の泡が茶色くにごって底に溜まっている。

わたしはわたしの話がしたいの。

人を愛するのはさびしいことなんだ。だって必ず別れが来る。
幸せは呪いだ。捕らわれたら最後、それでも、それでも揺り動かされたい。
この胸の石を砕き、取り出して抱きしめて欲しい。

天啓として落ちてくる何かを、天に手を差し伸べて星が落ちるのを待つようにひたすら待ってはいられない。
わたしはわたしの足で手で、この体とこころすべてで、星が見える空を見つけにいかないといけないんだ。
どこかにある愛すべき自分だけの物語を作っていく。

店員がかがみこんだので、真亜子はバッグを持って立ち上がった。
普段愛想のない店員が心からにじみ出てくるような笑顔を浮かべ、腰を深く曲げてお辞儀をした。
「お客さま、お時間です」




終わり

目次



読んでくださってありがとうございました。
献辞にふさわしいかどうかはひたすらびみょーなのですが、書いていてとても楽しかったです!
このお話を書く機会を与えてくださってありがとうございました。


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