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モノクロームカフェ またの名を、ちびブタ彼女とその一生 6(中編小説)




7. 奔流


「え、それで叶江おばさん、会社がつぶれても別れなかったんだ」
「騒がなかったの?」
「騒いだよ」
「騒いだんだ。そりゃそうか」
「でもね、おじさん相手だと喧嘩にならないんだよね~」

放漫経営と先々代から続く散財で、再建の見込みはまったくなかったが、花実は素直に現実を受け入れた。
花実は派手で美しい妻におずおず伝えた。
「あのね、僕は相続放棄しようと思うんだ」
叶江はまるで興味なさそうだった。
「ふーんそれで、生きて行けんの?」
「うん、借金は大丈夫なんだけど…僕、普通のサラリーマンになるからお手伝いさんとか無理で…」
「は?何言ってんの?嘘でしょ!?」
「もうちょっと小さい所に引っ越して…家財もだいぶ整理しないといけないけど…いい?」
「やだもう。最悪!」


「それでごはん作って掃除洗濯できたの?そもそも、おばさんって料理作れるの?」
「花嫁学校に通ってたから一通りはできるらしかったよ」
れいらは笑った。
「信じられない。ちょっと想像できない」
「おばさんいわく、私は優秀だからやろうと思えば何でもできるのって言ってたよ。優秀だからってそこはほら、強調してた」

この店は昭和五十年代には珍しく、喫煙席と禁煙席を分けている。
喫煙室は赤い椅子、禁煙室は黄色い椅子だ。
仕切りはないワンフロアなので、同じ空間で何人もが煙草をくゆらせているのに、空調設備がよほどうまく働いているのか、不思議なことにまったくといっていいほど禁煙席に煙の臭いはしてこなかった。
れいらは手を伸ばして咲菜の背を軽くたたく。
「まあ、要はブタだからって関係ないってことだ。さきなもさ、気にすんなってことよ。いい人なんでしょ?」
「そうだけど…」
咲菜は携帯の電源を切って机に置きながら指摘した。
「まあちゃん、さっきからメッセージ入ってるよ」
「あー」
真亜子の茶色の瞳に翳りが落ちた。ふわふわと肩に垂れかかる髪を押さえて携帯にかががみこみ、れいらは咲菜に催促した。
「で?写真は?」
「ダメ!」
「さっきあんなにのろけたくせに、写真見せないなんてあり?」
「せっかく今、気持ちが盛り上がってるところに、容姿のこと何か言われるのが怖いの!」

咲菜はありったけの力を振り絞って言い返した。拳を握って爪がてのひらに食い込んでいた。
「れいらちゃんは、ひとを本気ですきになったことないでしょ」
「ない!」
れいらははっきり答えた。
「ないよ。恋愛しないのがおかしいこととも思わない。そういう考えの子けっこういると思う」
頬が真っ赤になっている咲菜に向かって、れいらは容赦なかった。
「叶江おばさんは潔いわ。好きで付き合ってるんなら顔のこと気にするなんて相手に失礼でしょ!」

咲菜の表情が急にゆるんだ。握っていた手から力が抜け指を開いた。れいらの腕にそっと触れ、小さな声で言う。
「ありがと」
咲菜は立ち上がった。
「おトイレ行って来る」
「行ってらっしゃい」

真亜子が袖を引っ張った。
「ねーれいらちゃん、連絡をブロックってどうしたらできるの?わかんない」
「どれどれ」
二人で真亜子の携帯を覗き込む。
──律です。最近どうしてる?たまには連絡欲しいんだけど。今度一緒に遊びに行かない?
れいらは「あー」と言っただけで、黙って何も言わずにブロックしてさらに削除するやり方を教えてくれた。
「まだ諦めてないんだ」
「しつこくて…」
真亜子はほっとしたように携帯を閉じた。


トイレで個室に入る前に咲菜は鏡の前で立ち止まった。
手のひらを開いて、また閉じてみた。震えが走っている。しゃがみ込んでしまいそうだ。
何の衝動だろう?どうしてこんなにわたし、震えているのかな?
あれ?おかしいな。
どうしたんだろう、わたし。
今こんなに、突然どきどきしてる。

さっきまで咲菜が感じていたわだかまり、抵抗はいったい、何だったのだろう?彼の容姿に対する人の目なんて、大して気にしてやしなかった。
ただ友達に、それも自分の中で大きな位置を占める大切な二人に彼を認めてもらった。
安堵、それとも衝撃か、まだ体をこうして震わせている。
彼のことを打ち明けるのにあれほどためらったのは、二人の反応が怖かったからだろう。
れいらはいつも厳しかった。その言葉は鞭打つように小石を投げつけられるように咲菜の顔に当たっていて、不愉快でもあり悲しくもあった。
だがどこかで、本当だと感じてはいなかっただろうか?

咲菜は携帯を開いて、律くんの連絡先を表示した。
ブロック。履歴削除。リストから削除。
れいらの言うこと、その厳しさ、律くんに対する辛辣さの理由を咲菜は知っていた。知って知らないふりをしていた。
友達が未熟な自分をそのまま受け入れてくれないことに不満を抱きながらも、これまで離れずそばにいたのは、否定できない真実をれいらが体のなかに持っていたからだ。

頑張って。
好きなんでしょ。恋っていいよね。
振り向いてくれるよ、いつかきっと…。

耳ざわりの良い言葉は上滑りにするすると表層を流れて消えていく。雨として肌をつたう冷たい触感さえない!
そうなると咲菜は急に寂しくなってれいらと真亜子にメッセージを送る。

鏡をのぞくと目のふちは赤く、瞳がどこか狂ったような輝きを帯びている。
最後のたががはずれた。
堰を切って自由になったと喜び流れ出る奔流が胸からはじかれてあふれる。
会いたい。
わたしのちびブタくん。
もうめいっぱい彼を愛していいのだ。



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