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モノクロームカフェ またの名を、ちびブタ彼女とその一生 7(中編小説)



8. 葬儀



真亜子ははっきりと覚えている。

「叶江ちゃん…本当に、本当にいい人だったわね、あんた幸せね」
咲子おばさんが涙を押さえながら叶江の前に手をついた。
小柄な背中を丸めている咲子の前で叶江は化粧の上からでもわかる真っ白な唇を左右に結び眉をひそめ、周囲を見渡していた。

「運ばれた時にはもう遅かったんですって」
「そんな死に方、男らしいわ。介護もせずに、生活出来るだけの準備は残して…叶江ちゃんは幸せよ」
「シッ!」
まだ通夜にもなっていない。安置されている自宅の仏間には人があふれていた。

葬儀社の職員が丁重に叶江の前に膝をついた。
「奥さま、お写真を…」
「写真?」
「いいわ、私が選ぶわ」
真亜子の母の麗子が立ち上がって職員と一緒にアルバムをめくりに行き、咲子は台所に立った。咲子は真亜子に言い残す。
「真亜子ちゃん、叶江ちゃんのそばにいてあげてよ」

それにしても弔問客が多い。ひっきりなしに誰か訪れて、誰かが出てはまた入る。一人一人、体をかがめて叶江と真亜子の前に頭を下げる。水族館で列をなしては次々に水中に飛び込むペンギンを思わせた。
まだ眠っているようなあたたかさが残る花実の前に来ると、ああ!と声が次々に上がり、話しかける声が聞える。
どうしたんだあんた。あんなきれいな奥さん置いて!早すぎるでしょ…もう、西条さんたら…。

そして客がもう一度叶江の前に来て、自己紹介して出ていくのを真亜子は叶江の後ろでじっと見つめていた。
同僚、同級生、団体客は定年退職してから勤めたパート先の仲間たちとのことだった。それから趣味で通っていた絵画教室の生徒さんたちが訪れた。
彼らの手によってそれなりによい額縁に彩られた絵画が枕元に次々に設置され、おじの枕元は突然、花が開いたように明るくなった。
涙と笑い声が入り混じる。
「菊よりも良いわね」
「題材は静物か奥さんか、二択だなこりゃ」

葬式でも叶江は蒼白でもきっとした表情でまっすぐ座っていて、真亜子はさすが気丈な叶江おばさん、と思ったが咲子と麗子は代わる代わる話しかける。
「叶江ちゃん、大丈夫?しっかりしてね」
喪主が唇を結んで一言も言葉を発しないまま、弔辞が始まった。
「花実は愛された人でした。誰もがあなたを愛しました。けれどこんな風に先に、私を置いて亡くなったことを…わたしは決して…決して…」
指先がぶるぶる震えているのが遠目から見てもわかった。

葬儀、出棺と進んで入り口を出てきた男性陣が口々にささやいている。
「独演会。ショーだなまるで」
──絶対に許さない!死ぬなんて許せない!冗談じゃない!
叶江は火葬直前に火が付いたように怒りだした。周囲が総出でなだめ、医者を呼ぶ声さえ聞かれた。
叶江の従弟であるおしゃれが自慢の彼は、ロマンスグレーの頭を振って言う。
「しっかり奥さんやってた人はこんな時も取り乱したりしないもんだ」

咲子が憤然として振り返った。
「あんた何を言うの?こんな時に」
「まだ若いよ。すぐ次を見つける」
肩をすくめながら振り向いた彼は茶色いふわふわした髪の少女が額に皺を寄せて、こちらをじいっと見ているのに気付く。
その視線があまりにも強く胸を押したので、彼は思わずよろめいて膝を付くかと思ったほどだった。軽蔑、嫌悪、戸惑い…真っ赤になって背中を向け夫の背を見ながら咲子は真亜子に囁いた。
「あの人はね…昔、叶江ちゃんに『けんつく』を食らったのよ。ふられたの」
「だって…いまだに?」
「叶江ちゃんたち、子供が出来なかったからね」
「関係あるの?」
「あきらめきれない所はあったのかもしれないわね…」
自分の夫のことを他人事のようにそんな風に言う咲子おばさんをも、真亜子は眉を寄せて見つめる。



花実ちゃん。わたしね、思ったの。
この人なら、何があっても私を一人にしないって。
ママが言ったの。
あんたは一人では生きられないから、一生大事にしてくれる人を選びなさいって。
けどさ、だいすき、一生大切にする、どこにも行かないって?口ではなんとでも言えるわよ。

式場には色んな顔が見えた。
男前が自慢の紳士な従弟は結婚した奥さんを大切にしていた。でも叶江は知っている。奥さんにはほかにどうしても忘れられない人がいた。ずっと苦しんでいた。同級生で太った牛のような顔の男は成功して幅を利かせている。浮気ばかりで長年連れ添った相手ともついに離婚するとの噂だ。数年前までには、死ぬまで付き合うのだろうと見知っていたのに見えない顔もいた。あのひと若年性の難病にかかり、あのひとは早期退職してから妻と別居した…。

比べても意味は無い、わかっている。けれど叶江は歯を食いしばる。
どんないいことを言う人だって、いざ結婚して生活してみればさ。そんなはずなかったとか、ああいうつもりじゃなかったとかこうじゃないとか、これしてくれないとか文句のひとつも出てくるもんじゃない!
あのひとはわたしがどんなわがまま言っても、ひどいこと言っても全部、受け入れてくれた。

「あーあもう何も楽しくない」
「おばちゃん」
叶江は目を上げて、姪っ子がそばにいるのを見た。そっと指をあげ、真っ白な頬を撫でた。
「消えてなくなっちゃいたい」
叶江はそうつぶやいてから、やっと気が付いたように可愛いふわふわした茶色のくせっ毛を手に巻いた。
「こぶたちゃん?いたの?ここに」
「おばちゃん、ひとりじゃないよ」
「ありがとね」
横には畳の上に敷かれた布団が手つかずのまま綺麗に並べられている。

叶江はぼんやりとつぶやく。
「わたしたち、なんで子供できなかったんだろう」
真亜子が立ち上がって窓に向かう。カーテンの隙間から外を覗いた。
「落ち込んでるわたしに、平気だよ。ずうっと二人でいっしょにいようね、って言ってくれたわ…」
カーテンを引くと同時にざっと夕立が落ちてくるような音がして、光が部屋中にあふれた。
真亜子は振り向いて叶江に言う。
「おばちゃん、朝だよ」





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