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だれかが、そばにいるということ。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新16日目※

やっぱり風邪ひいてますうぇーい。朝起きた瞬間は「あ、これダメだな」と思ったんだけど、起きてみれば案外大丈夫で、今日は休みつつもお仕事できそう。

わたしの風邪は、小さいときからずーっと喉から。というか、喉が弱い。カラオケ行ってもすぐ喉が潰れるし、体育祭の後なんか声がガラガラだし、うるさい居酒屋で飲むと帰りにはもう声が出ない。劇弱。

だから今回もすぐに喉がつぶれて、彼に「バイオハザードのゾンビみたいw」と笑われました。言い方。

で、昨日は毎週火曜日のカフェを諦めておうちにいたんだけど、なんかこう、やっぱりさみしいなぁって思った。

いつも日中は家にひとりだからそれはいいんだけど、なんだろう。やっぱり病気の時って、人恋しくなるのかな。だれかが家にいるっていうだけでも安心するよね。家にだれもいないとなんだかさみしくなる。

そういえば、わたしはずっと実家暮らしだったし、ドイツでは彼と一緒に住んでるから、「人恋しい」と感じたことってなかったかもしれない。いつもだれかが家のなかにいたから。

たまに彼がいない夜なんかもあるけど、むしろ「ちょっとダラけてソファでごはん食べちゃおうかな!?」なんて思うくらいで、そんなに「さみしい」って感じではなかった。だって帰ってくるし。

でも病気のときは、っていうか昨日は、ちゃんと明確にさみしかった。なんでだろうね。やっぱり心細いからかな? 安心したいのかな? 頼りたいのかな?

彼が仕事から帰ってきたら、ほっとした。あ、もう大丈夫だって。その前から別に大丈夫ではあったけど、息をついたというか。

そう考えると、人間って、となりにいるだけでだれかにパワーをあげられるんだね。なにをするわけでなくても、ただそこに「いる」っていうだけで救われる人がいる。すごいよね。ただいるだけでいいなんて。

いろいろ小難しいことを考えたり、人間関係で思考の迷路をウロウロしたり、仕事がうまくいかなくてイライラしたり、そういうこともあるけども。でも大前提として、生きてるだけでだれかを幸せにすることができる。そのちからがある。それが人間なんじゃないか、なんて思ったり。

わたしもそうやって、だれかのちからになりたいな。

さて、彼が仕事に行った。今日は家でひとり、なにをしようか。

じゃあ、またあしたね。

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