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自分が我慢に慣れると、他人にも我慢をさせたくなる。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新20日目※

他人に我慢しろと、平気で言ってくる人がいる。みんなでご飯を食べるとき、「イタリアンを食べたい? 自分は気分じゃないから我慢をしろ。俺は和食がいい」と、平気で言えるのだ。

もちろん、なにを食べたいかをお互い言い合うのはふつう。一方の希望は実現できても、他方の希望が実現できないことだってある。それでも、「相手が我慢して当然だ」と思うのは、ちょっとこころが健全じゃないと思う。

じゃあなんでその人は、そんなワガママなことを言えるんだろう。自己中で自分のことしか考えてないから? 自分の希望がすべて叶うと思い込んでるから?

いい歳してそんな考えの人って、実は多くないんじゃないかと思う。だって生きづらいから。きっとどこかで「自分はワガママなんだ」って気づくはずだよ。

でもそうはならず、ふつうの顔をして、「お前が我慢すればいいんだろう」と言う。じゃあ、それはなぜ?

たぶんその人は、我慢に慣れているんだ。「我慢できないから自分の要求を押し付けるんじゃ?」って思うかもしれないけど、むしろ逆で、「自分が我慢に慣れているから、他人だって同じくらい我慢すべきだし、できると思ってる」んじゃないかなぁ。

頭がいい人は、「これくらいわかって当然」だと言う。他人に対する期待値というのは、いつも自分基準なのだ。たまにこの基準が狂ってる人がいるけど、基本的には、「自分を標準としてそれより多いか少ないか」でモノを測っていく。

つまり他人への我慢の期待値が高い人は、それだけ、自分の我慢の必要度も高かったんじゃないかと思うのだ。

小さい頃からのびのび育って、現在もストレスフリーで仕事をしている人だったら、「お前が我慢すればいいだろ」なんて言わない。そもそも「我慢する」という選択肢が、頭の中に浮かばない。「じゃあイタリアンと和食、両方食べよう」もしくは「じゃあ今日は君が食べたいイタリアンにして、明日は和食にしよう」と、できるだけだれも我慢しないで済む方向にもっていく。

でも自分が我慢ばっかりしていると、いざワガママを言っていい相手や場面がくると、「お前だって我慢してくれればいいだろ。そうすれば俺の希望どうりになるんだから」という思考回路になってしまう。

よく「自分を大事にできない人は他人も大事にできない」って言うけど、本当にそう。自分をないがしろにする人は、ほかの人に対しても、「これくらいの扱いで大丈夫」って思ってしまう。だって、自分がそれに慣れてるから。それで平気だから。

自分を大事にしてる人は、他人を傷つけるとどれだけ痛いかがわかるから、できるだけしない。

自分に厳しい人は他人に厳しい。それも、おなじこと。

優しくありたい、心を広く持っていたい、寛容さがほしい。

そう思うなら、まずは自分に優しく、心を広く、寛容にならないと。自分にすらできない人は、他人にもできない。そして自分に制約をかける人は、他人にも制約をかけてしまう。他人への言動は、そのまま、自分に対する言動でもあるんだ。

じゃあ、またあしたね。

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