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他人が切り取ったキレイの、横取り。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新19日目※

2年くらい前に、一眼レフを買った。理由はあんまり覚えてないけれど、いつもどおり「突然湧き上がった欲求を抑えきれない」感じだったと思う。日本に一時帰国中で、しょっちゅうお父さんとドライブに行っていたから、写真として残したい、という気になったのかもしれない。

そのカメラといえば現在、タンスの奥に眠っている。置く場所がないので、リアルにタンスの中だ。

写真を撮りたいなぁと思っても、長いドイツの冬は常に薄暗くて分厚い雲が空を覆っているし、手袋なしで出歩くのも億劫だなぁという面倒くささが勝ってしまう。最近暖かくなったからカメラを持って写真を撮ろう!と思い立っても、ひとりでぶらぶら出かける趣味のないわたしは、「別にいいや」となってしまう。

お父さんやお母さんはわたしが写真を撮っている間ものんびり待っていてくれるけど、写真嫌いな彼は「えー」という感じ。逆だったらわたしもそう言うだろうからそれはいいんだけれど、あんまりひとりで出かけないタイプなので、ドイツでは写真を撮るタイミングがないのだ。まぁ、言い訳といえば言い訳なんだけど。

それでも最近、ちょっと写真撮りたいな、という気持ちがふたたび膨らんできた。

というのも、わたしはツイッターで多くのフォトグラファーの方をフォローしており、ツイッターを見るといつも美しい写真を見ることができるのだ。

わたしが好きなのは、ドギツイスタイリッシュでクールな写真ではなく、どこか懐かしくなるような、それでいて新鮮な朝の空気を纏っているような、そんな写真。もしくは空の写真。

一眼レフを買ったとき、写真を撮ってみて、驚いた。ちゃんとボケる! 画質がいい!と。だから、「いいものがあればいい写真が撮れる」だなんて思ってしまった。

でも数100枚撮っても、1枚も「これ素敵!」と思う写真がない。どれもこれも、ただの写真、カメラでシャッターを切っただけのものであり、それ以上にはなれなかった。

だから練習して、工夫して、上達していくべきなんだろうけれど、「なーんだむずかしーじゃん」とわたしはヘソを曲げてしまった。だってみんなの写真がすごく素敵だから。そんな写真を撮りたかったのに、撮れなかったから。

写真というのは、自分のなかで感情が動いたその瞬間を切り取る行為だと思う。だから他人の写真を楽しむということは、「他人が切り取ったキレイを横取りする行為」なのだ。

「共有」といってもいいのかもしれない。でもわたしは、なんだか横取りするような気になる。

だって、その『キレイ』は本来、その人だけのものだったのだ。それを共有するのであれば、そこに居合わせるべきだったはず。でもそれをせず、写真を通じて、その『キレイ』を勝手にこっちのものにして楽しんでしまう。

うーんと、なにが書きたいかわからないけどもう10分経っちゃうな。

わたしは他人の写真に感動することにちょっとした後ろめたさがあって、だからこそ他人の感性を覗き見するような背徳感と、それに伴う感動が好きなのかもしれない。性癖みたいだけどちがいます。

で、他人のキレイのおこぼれをあずかっているばかりは恐縮なので、わたしもまた写真を撮りたいと思ったっていう話。

じゃあ、またあしたね。

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