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1回死んでみるワークショップに参加した。

「死」の話をしませんか?

なんとも不謹慎なようですが「死ぬまでの過程を生きる」というならば「生きる」と何が違うのでしょうか・・・。

私は昨年、最愛の母を「癌」で亡くしました。
悲しみはありますが、苦しみにつながるほどではなく、今は温かい記憶が私の中に生き続けています。

後悔のないお別れはできたと思っていますが、最期の1ヶ月はほとんど会えてなかったので
不安だった?
怖かった?
幸せだった?
そんな母の状況や気持ちが知りたかったのもあり、看護師の友人がファシリテーションする「1回死んでみるワークショップ」に参加しました。

死亡届と死亡診断書

はじめに自分はどんな死に方がいい?癌?脳梗塞?何歳まで生きたい?自宅?病院?季節は?時間は?
なんでそう思うのか・・・?
死亡届や死亡診断書を見ながらいろいろなお題に対し一つ一つ考えます。

一緒に参加した友人は65歳で死にたいと言い、私は正直びっくりしました。
親しい友人だけど環境も経験も違うからこそ、思うことや価値観も違う。
その考えは今後また変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
でも私が考える理想の死とはあきらかに違うことを知り、私が思う「こうありたい」は、どこまでも私にとってのものでしかなく、例え親子や兄弟であっても「在り方」は違うだろうと、わかっていた気になっていた自分にハッとさせられたのでした。

臨死体験

ある日お腹の不調を感じ、徐々に食欲がなくなっていく。病院に行き、検査をして、診察室に呼ばれる。カルテをめくる音。
カーテンの向こうで先生たちが何か話している空気。
後日病院から電話があり、検査の結果をお話しするので「ご家族といらしてください」と言われた時のなんとも言えない不安感。

そのような数々の描写された言葉を聞くことから始まります。
私は母で経験済みだったので、すぐにリアリティのある想像の世界へどんどん引き込まれていきました。

余命を宣告される。
治療が始まり、生活が一変する。
また月日は過ぎ、益々ご飯が喉を通らず、1日の大半をベッドで過ごすようになる。
誰かが手を握って話しかけている。
夢か現実かわからなくなる。
痛みや息苦しさがなくなる。
解放される。

このように少しずつ体がどんな感じで変化するのかなど、死んでいくまでの過程を事細かく聞きながら臨死体験を試みました。

その中で時々、あらかじめ自分にとって大切なものを書き記した小さな紙を手でぐしゃっと丸めて一つずつ捨てていくワークがあり、自分にとって本当に大切にしたいものとは?生きるとはどういうこと?「死」を意識しながら自分と深く向き合いました。

そうしながら湧き起こる感情や想いをひろいつつ、最後に溢れる涙でいっぱいになりながら遺書をしたためたのでした。

良い人生とは何か

例えば脳梗塞などで倒れ、一命は取りとめたが延命治療をやめることができずに寝たきりのご老人が増えている話をはじめ、老衰は死への向かい方もゆるやかな分、身の周りの生活サポート期間も長くなるという現実。
はたして長生きは良い人生なのか?
また癌患者や内臓疾患者、認知症患者などの終末期の体の変化傾向を見比べたりして、残された時間の見極め方なども学びました。

そしてある程度年齢を重ねている方だと、
「ピンピンコロリン大往生」と言われ、
若くして亡くなると「突然死」と言われ、
何が違うのだろう…なんてことも考えます。

私は亡くなる人と、その周りの人に
「死に対してある程度予測が出来ていて、在り方として共有準備があるか」なのかなと思いました。

元気であっても突然震災に見舞われることもないとは言えません。
「あたりまえはあたりまえでない」
改めて私にとっての良い人生とは何かについて深く考え、それはこれからもずっと続いていきます。

「癌」からのメッセージ

私の義兄は外科医で、かつ亡くなった母の主治医でした。
義兄が「癌で亡くなるのは幸せだと思う」とよく言っていたのがようやく腑に落ちてきました。

今は癌患者が2人に1人と言われる時代です。
しかし癌で亡くなる人は全体の死亡率からみてそんなには多くないようです。

そんなことも考えると「癌」を通じて今一度、生きる意味や在り方を考えさせるキッカケを私たちはもらえてるんではないかと思えてきて、もっと周りの人と「どんな死を迎えたいか」についても話をしておくのはすごく大切なことだと思いました。

私には癌と戦っている友人がいます。
きっと不安を抱えながら懸命に生きていますし、
これからもまだまだ生きて欲しい。
友人の挑戦を、母の死を、
そして3月11日を振り返ったばかりなのもあって
震災で被害を受けた人と失われた命。
そしてウクライナとロシアの戦争。

そうした目に映る数々の出来事を無駄にしないためにも、私はウェルビーイングな生き方をまずは身近な人と一緒に考え共有し、健やかな毎日と、より良い社会に向けて何かお役に立ちたい!
改めてそう思いました。

ヨガは自分と向き合うツール

死を意識して生きる。
そこで私の在り方を今一度自分に問う。
このワークショップはヨガの練習そのものでした。

私の考えるヨガは
「深く自分を知ること」
「喜びを享受できる体(感覚)に整える」こと
と思っています。

体を使うヨガ「ハタヨガ」も
最後に必ず「シャバアーサナ」という「死体のポーズ」があります。

ハタヨガを経験したことがある方はご理解頂けるかと思いますが、シャバアーサナ後はものすごく穏やかで、とてもスッキリするのです。

このワークショップのおかげで、日頃行なっている瞑想やシャバアーサナの大切さを改めて理解することができたように思います。

「わかるとかわる」

今日のシャバアーサナはまた一味違うものを経験しました。
「気づき」は人生をより豊かなものにしてくれるから、やっぱり私はこれからもヨガを続けていくのです。



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