自傷する私へ仲間へ贈る言葉、思い

拒食症だった私。食べないそれが生きる希望だった。ならば、自傷行為をしているそれは悪くない気がする。生きて居てくれるそれが1番の救いなのだから。

色々な自傷行為があるだろう、各種依存症、拒食、過食嘔吐、たばこ…自覚の無い自傷行為も執着も沢山にある。

しかし、人を傷つけるような、助けを求めるやり方はいけない。自分が満たされず、人を罵倒したり暴力を振るったり、欲の解消に人を使い傷つけるのは、見ている聞くだけでも悲しい物だ。それは、人の傷を時にえぐり、瘡蓋を剥がしてしまう。

そして、自分さえ傷つけては悲しいだろう。

しかし、それで癒される何かがあり、代替え行為が無いのなら、代わりが見つかるまでその行為に、自分には甘えても良いのではないか?傷つけても自分は己を抱きしめて決して離さないから…。君の君は君を見捨てや出来ない。それは愛されている証拠にならないか。人は皆、愛されて生きている。自死を選んでさえ、自分は自分を最後の一瞬まで離さない。

私は、自傷をしても愛されていると体感出来て、自己の中から外へと羽を伸ばすステップを踏んだ。親はどんな親であれ、君の君を君の命をくれた存在である。親を嫌いでも良い、罪を憎んでも良い。でも、命は何時でもあなたを見捨てやしないから切り捨てないで。

だから、罪を憎んでも人は憎まないで欲しい。人の持つ命まで見捨てないで見つめて欲しい。命を愛するとは、結局は器の人まで愛し始めてしまう様になってしまう物みたいだから。

私は自分が嫌いだったから大嫌いだったから、食べないで殺してやるつもりだった。そんな憎悪も受け止め生きてくれた自分。本当は、まだ躁鬱病の鬱の時は死に取り憑かれて食べられなくなってしまう。それでも、良いよ良いよ大丈夫だよと自分、家族、友達に愛されて私は生き延びている。

自分を傷つけても、悪くない。謝らないで。抱きしめて許してくれてるから。

悪くないよ、泣かないで、1人じゃない、大丈夫だよ。少しずつ今の時を生きる人達と生きよう。今の君で良いんだよ。

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