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私たちの中にある「性差別」に怒り続ける


事件について、最初に僕が思ったこと

最初、事件の一報を知って、SNS上で事の詳細を検索したとき、一人のファンとして、「なんで私たちの好きな人たちが、こんな目に遭わなきゃいけないんだ」という、どうにも抑えられない怒りが生まれました。

けれど、その怒りをそのまま言葉にしていいものなのか、わからなかったから、僕はとりあえずSNS上で次のように発言しました。

どこまでもおぞましいものを見てしまい、ひたすら落ち込んでいる。正直事態を飲み込めていない。 ただ一つ言えるのは、このようなハラスメントが行われる背景には、日本のネットカルチャーやエンターテイメントにおいて、空気のように性差別が存在するという問題があるのだと思う。 個々の人物に対する処罰はもちろんしなければならないのだけれど、その裏にある、性差別的風潮もまた、私たち文化の宿痾として、解決しなきゃならない問題なのだと思う。
加害者が処罰されることも重要だと思うけど、何より、ハラスメントの被害者に、ANYCOLORなどの周囲がきちんと心身のケアをしてくれることを、強く望みます。 そして、被害者においては、ファンのことを気にしてくれるのは嬉しいけれど、それよりも、なによりもとにかく自分の心身の健康を第一に考えてほしいと、ファンの一人として強く思っています。

https://bsky.app/profile/darakeru.com/post/3l34gfz22po2h

そして、SNS上に上記の文章を書いた後、とりあえず一日、何とか心を落ち着けて、いったいこの事件について、どう受け止めればいいのか、考えました。二次被害を防ぐためにも、あまり騒がないほうがいいのか。まるで何事もなかったかのように、推し活を続ければいいのか……

けど、やっぱり僕は納得がいかないのです。一体なんで、あんなに自分のファンを楽しませようと一生懸命頑張っている人たちが、よりによって信用していた仕事仲間から、こんな嫌がらせ、ぼかさずに言えば加害・暴力を受けなきゃいけないのかと。

やっぱり、何事もなかったことになんかできない。怒らなきゃいけないことなんだと、少なくとも僕は、そう思うのです。

絶対に許されてはいけない

改めて、被害にあったライバーたちの気持ちを想像してみます。

ライバーにとって、「歌ってみた」動画を出したり、ライブを行うというのは、とても大変な作業です。勘違いしている人も中にはいるけど、多くの歌ってみた動画やライブというのは、別に会社が費用を出したり、スタッフの手配をしてくれるものではありません。ほとんどの場合、スタッフへのギャラなどはライバー自身が出すし、その手配をするのもライバー自身なわけです。

しかし、それでも多くのライバーは、日々の多忙な活動の合間を縫い、身銭を切りながら、歌ってみた動画を行い、ライブを行ったりする。なぜかといえば、その活動によってファンを喜ばせたいと、思うからなわけです。

そして、そんな純粋な思いを胸に、多くのライバーが、告発されたスタジオを訪問したわけです。ライバーの中には、人見知りで、初対面の人と接するのが苦手な人だって多くいます。しかしそんな人も、ファンを喜ばせるためには、乗り越えなきゃいけない経験だと思って、勇気を振り絞って訪問したのだと思います。

クリエイターの人もきっと自分と同じ気持ちで仕事をしているんだ。同じ方向を向いて仕事をしている同志なんだと、そう、信じながら。

しかし、今回告発された外部クリエイターは、そんな思いをあざ笑うかのような、非道な行為を行ったわけです。スタジオ収録という、スタジオを経営している人を絶対的に信用しなければならない場で、盗撮を行い、さらに性的加害を行うという、最悪の裏切り行為を、行ったわけです。

僕だったら、もう何も信じられなくなってしまうでしょう。普段一緒に仕事をしている人に対しても、「この人も、あのクリエイターと同じように、裏で私を辱めようとしているのではないか」と思い、トラウマを抱いてしまうと、思うわけです。

改めて、今回告発された外部クリエイターには、厳罰が下されなければならないと思うし、被害にあったライバー達には、きちんと心のケアがなされなければならないと、そう思うわけです。

しかしこれは「ごくありふれた経験」でもある

ただ一方で、男性である僕には想像できないことも、あります。それは

  • 女性にとっては、この種の盗撮や性的加害は、珍しくもない、「ごくありふれた経験」である

ということです。

それこそ欧米では「Me Too」運動という形で、多くの女性俳優たちが「私はこれまでの活動の中で性的加害にあってきた」という告発を行いましたし、日本でも、俳優や声優などの職業に就くの1割以上の人が、職場で「性的な関係を強要される」、「必要以上に体の露出を迫られる」といった、性的な被害を受けたと回答する、厚生労働省の調査があります。

こういった女性への性的加害は、エンターテイメント業界に限ったことではありません。ある調査では、女子大学生の9割が、性的な嫌がらせに触れた経験があるという、回答をしました。

さらに内閣府の調査では、10人に1人の若者が「痴漢」にあった経験を持ち、7.8%の若者が「同意のないわいせつな行為」を強要され、100人に1人の若者が、薬を盛られた経験があると回答しました。

今回告発されたクリエイターの行為は、確かに許されざる加害行為です。

しかし一方で、これは女性たちにとっては「ごくありふれた経験」だということを、僕を含めた男性側は、肝に銘じるべきだと、思うわけです。

Xでのタイムラインでの、事件に対する反応を見ると、多くのクリエイターは、「このようなことは絶対許せない」という一致した意見を示しました。

しかしその一方で、男性のクリエイターは「こんなことが起きるなんて信じられない」という反応を示すのに対し、女性のクリエイターは「こういうことはよくあるからこそ、許せない」という反応を示し、中には自分もこのような性的加害を受けた/受けそうになったという告白をする、そんな違いがありました。

今回の事件は、決して特別な事件ではなく、私たちが生きる社会ではごくありふれた、沢山の「性的加害」の一つであり、加害者も稀にみるような特異なモンスターではなく、私たち男性とほとんど変わらない。一般的な男性の一人なのです。

「女性を性的に格付け」することを当たり前に行う私たち

今回告発されたクリエイターの行為の一つに「ライバーの容姿を盗撮して、その容姿を仲間内で共有し誹謗中傷する」という行為があります。

このような行為が、ライバーの尊厳を傷つける、唾棄すべき行為であることは明らかでしょう。

しかし一方で、この行為から「盗撮」という事象を除き、「公開されている女性の容姿に対し、仲間内でランクをつけ、低評価な女性を誹謗中傷する」とすれば、雑誌のグラビアを回し読みして、「この女はエロい」「この女は抜ける」なんていうようなことを言う形で、多くの男性は、男性しかいないような場で、似たようなことをやったことがあるわけです。

さらに言えば、女性を性的な観点から格付けするということは、散々女性たちから批判されながらも、いまだメディアからはなくなりません。『週刊SPA!』という雑誌は「ヤレる女子大学生RANKING」という記事を載せたことにより多くの批判を受け、謝罪することになりましたが、似たようなことを女性アナウンサーに対して行う記事はコンビニの雑誌棚を見ればいまだ数多くあります

さらに言えば、僕を含めた私たち自身、ついこの前「ライバーを格付けする動画企画」で楽しんだばかりだったことを、忘れてはなりません。

もちろん、あの企画は、上記で挙げたような、オヤジ的目線を極力排除する形で構成されていました。男性・女性双方に対し平等に企画を行い、格付けにおいても、性的な要素よりむしろ人間的魅力やコミュニケーション力に焦点を合わせる形で格付けを行ったわけです。

ただ、そうだとしても、やはり「ある一つの性別の側から、他方の性別の人間に対し、一方的に格付けを行い、低ランクとみなしたものを嘲笑する」という点では、今回告発されたクリエイターと私たちは、結局同じことをやっていたのではないかと、少なくとも僕は、反省し、後悔してしまうのです。

「性的に魅力的である」ことを押し付ける私たち

さらに言えば、そうやって女性を格付けすることに対し、何ら罪悪感を覚えずエンターテイメントとして消費してしまうのはいったい何故かを考えれば、そこには「女性は男性を喜ばすような性的魅力を持たなければならない」という、ステレオタイプの当然視が、あるわけです。

ついこの間、ある男性ライバーが「何やっても『かわいい』とか言ってお母さんヅラするのはやめてくれ」という言葉を残して引退する事件がありました。「かわいい男の子」というステレオタイプを押し付けられるということに対して、NOをつきつけたこの事件において、多くの人は男性ライバーに対して理解を示したわけです。

しかし、男性ライバーに、その人が望まないステレオタイプが押し付けられることは、よくないことであると理解される一方で、女性に対し「母性」や「かわいさ」、あるいは「色っぽさ/エロさ」というステレオタイプが押し付けられていることは、ごく自然なこととされるわけです。

今回、クリエイターがライバーの容姿に対して行った誹謗中傷は、まさしく「性別に合致したステレオタイプに、容姿が適合しなければならない」という、ステレオタイプの押し付けによるものといえるわけです。

では、僕を含めた私たちは、推し活の中でそのようなステレオタイプの押し付けを行っていないのか

答えは「NO」です。私たちは、自分の「彼/彼女はこうあってほしい」という姿を、ライバーに押し付けている。そしてその軋轢が時として、ライバーの引退につながるということを、九条林檎氏は述べています。

そして、そのようなステレオタイプを押し付ける圧力は、実際の社会の男女差を反映して、男性ライバーより女性ライバーに対しての方が大きくなるわけです。

バーチャルであることは、性差別からの逃げ場にはならない

ここで重要なのは、バーチャルな場で活躍するVTuberという存在であっても、現実の社会で存在する性差別から無縁ではいられないということです。

バーチャル上でのコミュニケーションを議論するときに、よく「自分の身体的な性別と関係なく、自由に性自認(自分自身が、自分の性別を何だと思うか)を選べるバーチャル空間においては、現実の社会の性差別とは関係ない自由で平等な空間を作れるのではないか」という楽観論を述べる人がいます。

現実の世界では、自分の性自認と、見た目の性別が連動しているため、性自認と異なるステレオタイプを押し付けられる、しかしバーチャル上では、自分に押し付けられるステレオタイプが嫌なら、異なる見た目の性別を選択すればいいと、そういう議論です。

しかし、今回告発された事件からもわかる通り、私たちはまだ、バーチャル上で全てのコミュニケーションを完結することはできません。本格的に活動をする際には、どうしても現実の社会で、現実の身体をもって人々と接する必要がある以上、現実の社会の性差別とはどうしても向き合わなくちゃならないのです。

さらに言うなら、例えバーチャル上で全てが完結するとしても、「ある性別のアバターをするなら、その性別についてくるステレオタイプも引き受けなければならない」というのは、本当に性差別から自由なのでしょうか?

一つの事例を紹介しましょう。

ある女性が、女性の見た目のアバターでメタバース空間に入ったとき、性被害を受けたことがありました。

そして、そのことを告発すると、「女性アバターを選ぶな」「おかしなことを言うな。現実じゃないんだから」という反応が返ってきたそうなのです。

これは、果たして「性差別から自由な空間」の姿でしょうか?

僕はそうは思いません。むしろ、バーチャルであることを隠れ蓑に、性差別がより露骨な形で表れているとさえ、感じます。

例えバーチャルな場であっても、現実の偏見や差別はそのまま表れてくるのです。時には、より露骨な形で。

現実の性差別は、あくまで現実でそれと闘わなければ、解消されないのだと、僕は考えます。

加害・暴力を許さないために「性差別」に怒り続ける

これまで述べてきたことをいったんまとめます。

まず、今回告発されたクリエイターの行為は、ライバーの信頼を裏切り、彼・彼女らの尊厳を辱める、決して許されない行為です。これの見解については、万人が一致すると思います。

しかしその一方で、僕は、今回告発された行為は、「特異なモンスターが起こした、めったに起きないような事件」ではなく「一般的な男性が起こしうる、ごくありふれた事件」であると考えます。

このことは、決して「ありふれたことだから、軽んじていい」ということを意味しません。むしろ、こんな酷いことが、この社会ではありふれてしまっているということに、私たちは怒るべきだと、僕は思うのです。

そして、僕を含めた一般的な男性が持つ

  • 女性を性的に格付けすることを当たり前に行う

  • 性的な魅力を持つというステレオタイプを女性に押し付ける

という習慣、そしてその習慣が私たちの心に植え付ける性差別。それが、閉じられた空間での信頼関係で発揮されると、今回のような事件につながるのだと、僕は考えるのです。

そして、そうである以上、僕は

「きちんと怒らなきゃダメなんだ」

と考えます。今回の加害を起こした人物に対し怒ると同時に、私たちの中にある、今回のような事件につながる「性差別」に対して、怒っていい。むしろ、怒らなきゃダメなんだと、思うのです。

なぜなら、怒らなければ、この社会は変わらず、また同じような事件で誰かが傷ついてしまいます。

そして、その怒りを胸に、上記に挙げたような「性的な眼差しによる評価」「性別ステレオタイプの押し付け」を、自分たちが推し活において行ってないか、自戒しなければならないと思うのです。

この記事を読んでいる方の中には「ライバーに対して推し活をしてる時に、そんな『怒り』なんてネガティブな感情を抱きたくないし、ライバーもそんなの望んでないと思う」と考える方もいるでしょう。僕は別にそういう立場を否定しません。

ですが、それでもやっぱり僕は、私たちが少しでも健全に、ライバーを応援し続けるには、ライバーに対するポジティブな感情だけではダメで、ライバーと私たちをとりまく社会の不健全さに、怒りを持つことも重要ではないかと、今回の事件を機に考えざるを得なくなったのです。

「きちんと怒る」ためのフェミニズム

そしてさらに言うと、そこできちんと性差別に怒るために、僕はフェミニズムの立場からものを考える、フェミニストにならなきゃと思います。

「いきなり何を言うか」と思うでしょうか。「ああ、やっぱりそういう話なのね」と思うでしょうか。僕がこれまで述べた話。

  • 女性への性的加害が日常となってしまっている文化
    (これを「レイプカルチャー」といいます)

  • 女性を性的に格付けする男同士の絆
    (これを「ホモソーシャル」といいます)

  • 女性への「性的に魅力である」というステレオタイプの押し付け
    (「すべての女性は『聖母』か『娼婦』でなければならない」という説明)

は、全てフェミニズムという思想と、その思想を元に行われてきた研究がもとになった話です。

フェミニズムという思想、そしてその思想に基づいて思索・研究をし、運動をしてきた、フェミニストという人たちは「男性と女性は平等でなければならないのに、なぜ実際の社会ではそうでなく、女性を差別する性差別があるのだろう」と考え、そこから、上記に挙げたような、社会の性差別がいかに形作られるか、説明する概念を生み出してきたのです。

だから、「社会の性差別をなくし、その性差別により人々が苦しまないようにしたい」と考えるなら、まず何よりフェミニズムを勉強し、そして「男性と女性は平等であるという信念を持つもの」、つまりフェミニストにならなきゃと、思うのです。

(まあ、この説明自体、別に自分が一から自分の頭で考えたことではなく、

という本の受け売りなんですが)。

といっても、特にバーチャルYouTuber界隈の人からすると、フェミニストというと「キズナアイとか赤月ゆにや戸定梨香にケチ付けた嫌な人たちでしょ?」と思うかもしれません。

(実際は「ケチ付け」の中にも、聞くべき部分と、反論するべき部分が分かれると考えますが、それはここでは論じません)。

しかしここで重要なのは、「個々のフェミニストに共感・同意できなくとも、『男性と女性は平等であり、性差別はなくすべき』と考えるなら、まず『フェミニズム』という思想が役に立つし、フェミニズムの思想・研究を利用する、フェミニストと名乗っていい」ということです。

バーチャルYouTuberを好きであることと、フェミニストであることは、両立しうるのです。

そして、たとえ個々のフェミニストの存在・言動が嫌いでも、「性差別」というものに怒り、それをなくそうとするなら、フェミニストであることを避けては通れないと、僕は考えるのです。

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