何がウェルビーイングじゃ



最初に

 しょっぱなから喧嘩売るようなタイトルですが、企画の趣旨を否定するつもりはないです。むしろ、私は心身ともに穏やかでありたいと思っていますし、真面目に書いたつもりなので最後まで読んでくれると嬉しいです。
 ただ、ですね。
 先ほどの発言といきなり矛盾するようですが、ウェルビーイングという言葉を聞いても、無理だろ、そんな余裕ねえよ、とどこかで反発してしまう自分がいるわけです。そんな私がウェルとはいわずに、せめてイル(=ill)から脱却できるように心掛けていることを書いていこうと思います。

私と私のビーイングについて

 私の最初に投稿した記事を見てもらえばわかりますが、25歳大学院生です。ゼミではボロクソに叩かれ、未来のことについて不安に日夜苛まれ、時にはこの世から消えることを考えたりもします。医者から病気ですと言われて6年、その間ずっと先の見えない治療を続けている人間です。
 要は、私はイルビーイングなわけです。

イルビーイングの私がウェルビーイングについて思うこと

 さて、不安に常に苛まれ、この世から消えることを考えるような状況になるとどうなるか。まず、不安や焦燥感が消えないので気力、体力が消耗していきます。気力、体力が消耗しているので対人関係も面倒になります。
 そんなとき、自分(と自分に関連すること)の批判なんか聞いたりすると、もう効果てきめんです。当てつけに死んでやろうかとか、少し冷静になって、でも自分が悪いよなとか、最終的にはより体力を消耗してしまって、この世から消えたいと思うわけです。
 人間不思議なもので、そういう時に惹かれるのは病んだ、しかし優しい人たちです(Xとかでいう病み垢というやつですな)。そうしたところは見ていると心に悪いのだけれども、非常に心地が良い。
 そんな状況で、輝かしい世界や説教くさい厚労省の発信を見ると、私は心の中でそっと思うわけです。
 何がウェルビーイングじゃ、と。


 

何故、そう思うのか。

 多分、怒りがあるのでしょうね。結局、口だけで何もしてくれなかった、そんな半ば八つ当たりのような怒り。説教するなら金くれ、と。あるいは理解者をくれ、と。気力や体力はないのですけど、感情自体は残っているので、そうした怒りなんかが何かの拍子に出てくることがある。そして、多分、私はここが重要だと思うのです。

イルビーイングの私がウェルビーイングになるためにやること

 そうして何かの拍子に出てきた感情は怒りやら、悲しみやら、恨みやら、絶望といったマイナスのものが多いと思います。でも、ここで口を閉ざしてはいけない。
 そのマイナスの感情はみっともなく、綺麗なものではないです。世間的にも大人だからとか、男だからとか、人前だからとかいって表に出すのを忌避する風潮がある。
 しかし、そうした感情が体のおりになってしまうと、その重さで身動きが取れなくなる。だから、定期的にそうしたものを吐き出してやる必要があるのです。
 出し方は何でもいい。
 例えば、今私がやっているように怒りを文面に殴り書く。
 例えば、エシディシのように臆面もなく泣く。
 例えば、誰もいない薄暗い部屋で恨みをノートに叩きつける。
 あるいは、絶望を世界に向かって叫ぶ。
 こうすることで、その瞬間はおりになっている感情は逆説的に忘れられるし、不思議と少しだけ気力が湧いてくる。
 場合によっては酒をアル中の如く浴びるように飲むなりして、無理矢理感情を出すくらいやってもいいと思います。どうせ、世間は常識を押し付けて貴方のことを考えずに勝手なことを言うばかりだったのです。多少の不良行為くらい、いいではないですか。

 
 

終わりに

 以上、イルな僕がそこを脱却してウェルになれるようやっていることを感情という観点から書いてきました。本当ならもっといろいろ書きたいこと、真に疲れ果てている人や現実はもっと複雑で単純にはいかない点、があります。そうした意味で私の今回書いたことはプレッシャーの下で、通常生活の淵ぎりぎりに立っている人にしか適用できないかもしれない。
 でも、そうした人やあるいは真に疲れ果ててしまった人も優しいと思うのです。自分を殺し、周囲の要求する通り無理な動きをし、普通になろうとあがいている。優しくない世間のために、優しくあろうとしたら疲れるのは当然です。
 だから、優しくなかった世間に対して、怒りや悲しみ、絶望をぶつける権利はあると思うのです。僕や貴方たちが世間という重荷に殺されないようにするため。
 これが、病んだ僕のウェルビーイングです。読んでいただきありがとうございました。願わくば、この記事によって、貴方の心が少しでも動かんことを。




#ウェルビーイングのために

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