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月明かりもない夜をひとり

なんかこれ普通に、地獄じゃん?
ってつくづく思う毎日を送っています。
外に出て、どこで何をしていても
素をさらけ出せず、自分を取り繕っているし
家に帰れば息苦しさと苛立ちに参ってしまう。
どこに居ても居場所だとは思えなくて
本当に安心して気の休まる、穏やかな時間が
最後に流れたのはいつだろう
背中から首にかけて、常に無意識に
緊張してしまっているのか、バキバキに
凝り固まってしまって疲れのとれない日々だ。

「誰にも会いたくないけれど、誰かに会いたい」
そんなよくわからない気持ちになっている。
はっきりとしてるのは
今の自分を誰にも見せたくないということ。
毎日行きたくない場所に行き、
会いたいとも思えない人たちに会って
特にやりたくもない事をやる、そして
見えない将来の道すじに悩む生活をしていたら
耐えられなくなったらしい。
他人や家族から発せられた言葉や態度に
いちいち傷ついて、流せなくなり、
苛立ちが募り、自分を保てなくなった。
日々少しも休めないままに突っ走っていたら
外から聞こえてくるもの、見えるものに
めっぽう弱くなったんだと思う。
「誰も近づいて来んな、気持ち悪いんだよ」
と泣いて叫んだ。
本当に醜くて、みっともなかった
こんな自分、誰にも見せたくない。



人はどこまで行ってもひとりで
どこまで行っても他人同士、
だからわかり合うことなどない。
たとえそれが家族でも友でも恋人でも。
沢山話し合ったからといって
相手をわかったつもりになっているそれは、
あくまで自分の想像でしかないし
反対に、私の胸の内にあるものを
全く同じように理解できる人もいない。
せいぜい他人にできるのは想像までだと
過去の傷や、この頃の暮らしを振り返っても
そう思う。


でもこれは別に悲しいことではない。
「優しさとは想像力のことだ」
ってどこかで聞いたことがあるけれど
本当にそうなんだ。
お互いにわかり合うことなど不可能だから
精一杯、相手の目線や心の傷を想像する。
その想像から、自分なりに手作りした温もりを
相手に渡す。
それが人と人が付き合っていく、ということ
なんだと思う。
「わかり合うことはない」
実際に傷つくまで
私がそこに気付いていなかっただけで
元々あった事実なんじゃないか。
だから、もうそれを悲しんだりはしない。
そしてここまで考えると
1人でいるのが1番気楽だと思う
なんの強がりでもなく、本当に。



それでも誰かに会いたい気もしているのは
誰かが私のそばに居たあの頃の温もりと幸せを
忘れていないから。
帰る居場所がある、あのホッとした気持ちも。
それとほんの少しだけ、
私と深さが同じくらいの憂いを持った人に
これから出会う希望を、まだどこかで捨てきれていないからだ。



…………


自分を大切にして、もう少しわがままになるの
って本当に難しいのにあっという間に、
気を抜くと簡単に自分にナイフを向けてしまう。
正直ここまでの私の人生、みっともなくて
どうしようもない。恥でしかなくて。
できることなら自分を捨てたい、死にたいけれど
そんな度胸も今のところはない。

でも、それならせめてこの先で
ひとり立ちして家を出るときに
自分の中身を捨てようと思います。
この家で生きてきた20数年間の私を
なかったことにする。
記憶もろとも消してしまおう
その後はまるで違う人間にでもなったつもりで
新しい場所で、生き直していく。
同じ名前のまま別の人間として生きていく
そうでもしないと、あまりにもやりきれない。

真っ暗な毎日の中で
いま身を置く場所から遠くへ出ていく日を、
私が私を手放せる日を
縋るように願って、今日も耐えている

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