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明日へ向かって 24

 案内メールを出してからの榎本は、しばらく風土改革のキャンペーンを張った。管理職が集まるミーティングでは必ず風土改革という単語を一度は口にした。そのうち、会議が終わる頃に、榎本さん、今日は風土改革のことはいいんですか?と逆に聞かれるようになった。
 高津製薬の薬物動態研究所は、パート、契約・派遣社員を含め百名程度の組織である。薬物動態研究は、研究開発のあらゆる段階に関連性が深い重要な分野でもある。
 高津製薬の合併が決まる何年も前から、研究本部長の多喜田は、研究所を活性化する必要があると考えていた。研究本部長とは、社内のすべての研究所を束ねる長である。昔、自分がいた頃とは違って、研究員たちの志気が落ちていることを多喜田は肌で感じていた。
 高津製薬にも次々と世の中に新薬を輩出してきた時代はあったが、もう十数年以上も前から新薬開発は頭打ちになってしまった。これは高津製薬だけに限った話ではない。日本国中、いや、世界的に、いわゆる低分子医薬品の新薬開発は全く行き詰まってしまった。現在では、一日百億ドル以上稼ぎ出すようなブロックバスターは今後もう生まれないだろうとさえ言われている。
 生き残りをかけて高津製薬は、ついに三河製薬との合併に踏み切った。合併と聞いた瞬間、研究本部長の多喜田は、今こそ研究員たちの結びつきを強固にする必要があるとより強く感じるようになった。
 合併とはそれぞれの会社の文化が雑じり合うことである。それまで通用してきたやり方が、通用しなくなる。当然、組織のスリム化は求められるだろう。研究員たちの志気が奪われていくばかりか、さらなる断絶ができてしまいかねない。何とかしなければならないという小さな叫びは、合併というきっかけを通じて多喜田の耳によりはっきりと届いたのである。そのとき偶然にも多喜田はウェルネスプランの野村の講演を聴いた。そして、すぐにこれだと直感した。多喜田は、すぐさま野村との面会を取り付け、風土改革活動を高津製薬に取り入れようと心に決めたのである。
 多喜田から突然電話で呼び出された榎本は、面食らった。部長とはいえ、研究本部長直々に声がかけると一気に緊張が走る。研究が遅々として進まないことへの叱責か、あるいは我が身の人事発令か、いずれにしても悪い予感ばかりが頭をよぎった。呼ばれて耳にした風土改革という単語を聞いて、なんだそんなことでわざわざ人を呼びつけといて人騒がせな、と榎本は思った。
 多喜田なりに風土改革の必要性について、榎本に説いたつもりが、肝心の本人は中々素直には聞く耳を持てないものである。風土改革みたいな活動は、専門性の高い研究職にはあまり必要のないものだと決めつけて話を聞いていた。何で俺がそんなもの頼まれなきゃならないんだと榎本は思った。わざわざフェイス・トゥー・フェイスで説明したにも関わらず、多喜田は肝心の想いをいまひとつ榎本に伝えきれていなかった。とりあえずウェルネスプランのセミナーに参加することになった榎本だったが、結局社内の重要な会議と重なったため、代わりに希美が参加することになってしまったのである。
 研究開発のあらゆる部署と連携している薬物動態研究所なら、研究所だけでなく、臨床開発といったいわゆる本部へも顔が利く。風土改革を始めるにはうってつけの立ち位置だと多喜田は思っていた。しかし、問題は薬物動態研究所の誰にその白羽の矢を立てるかである。本来、風土改革の活動本拠地は、企画室や人事部門といった、いわゆる本社機能部署や事務方でまず取り扱う例が多い。ひとつは、横断的なつながりがある部署を選ぶことで活動がスムーズに進むことを期待するものであり、またある程度通常業務との関連性も重視するからである。

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