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明日へ向かって 64

「抗がん剤治療に最期まで望みをかけて闘病しました。そのとき姉のお腹の中に赤ちゃんがいて、どうしても孫の顔が見たかったからです。でも、生まれる一ヶ月前に父は亡くなりました」希美が話すと、
「そうでしたか」と一重が静かに言った。
「最期はげっそりやつれて嘔吐と下痢を繰り返して」
 希美は、すっかりやつれてしまった父の姿を思い返していた。病室にいる父の腕はいつも点滴に繋がれていた。食欲を失い痩せ細っていくにつれ点滴以外のチューブも増えていった。
 最期の最期に、父を本当に苦しめていたのはがんだったのか、薬の副作用だったのか。本当は取り除ける苦しみもあったのではないだろうか。
 希美は、ひたすら病院の治療を信じ、希望を持ちながら痛みと苦しみに耐えて闘病し続けていた父の姿が痛ましく思えてきた。
 誰も何も言えなかった。希美の言葉には悲しみではなく、怒りが込められているようだった。誰も彼女を慰めたり、納得させうる言葉を持たなかった。ただひとりを除いては。
「それほどお孫さんに会いたかったんですよ。お父様はきっと満足されてます」一重が言った。
 肩にそっと手が置かれたような温かい声だった。
「ここにいらっしゃる皆さんの多くは、生きることに望みをかけて抗がん剤治療を受けたことのある方たちです。そうして最期にここへ来られるんです」一重は言葉を継いだ。
「父はあんなに苦しむ必要があったんでしょうか」
「たしかに辛かっただろうと思います。でも、お父様は、がんと向き合い、そして闘うことを選ばれたんです。たいへん立派なことだと思います。ほら、よく言うではありませんか。ひとは、そのひとらしく、生きてきたように死んでいくって。それがお父様の生きざまだったのですよ」
 一重の声だけがそこに残っていた。
 どんなにつらくとも険しくとも、そこへ立ち向かっていく。ただじっと死を待つより、自ら立ち上がり闘うことを選ぶ。たしかに父らしい生きざまだったのかもしれない。一重の言葉を聞いて、いま希美にはそう思えた。

 帰り道は、皆貝のように口を閉ざし、静かに黙ったままであった。ひとりひとりが思い思いに考えを巡らせていた。
 一重がひとしきり話し終えたところで、坂野医師が戻ってきた。そこで、もう少しだけ薬に関する議論ができた。
 緩和ケアが中心のホスピスなので、一般の病院とはかなり異なるとは思いますが、と前置きしてから坂野医師は話し始めた。
「痛みを取るために薬を使うことがほとんどです。他にもめまいを抑えたりとか、とにかく患者さんの気になる症状に対処するための必要最小限のお薬を使ってますね」
 以前、長原が話していた必要な薬の数の話とそれは奇妙な一致を表しているように思えた。
「iPS細胞のおかげでひょっとしたらがん発生のメカニズムも解明されるかもしれない。でも、ぼくはがんの発生は、生き物の進化の過程において必要なものじゃないかと思うんです。生命が遺伝子の変異とともに進化を遂げてきたわけですから、がんだって同じじゃないかと思います」
 坂野医師の話には妙な説得力があると長原は思った。坂野医師は、がんを治すべきではないとまでは言わなかった。ただ、がんをなくしてしまえば同時にひとの進化も失われてしまうのかもしれない、と語った。
 病気を治す薬のことばかり我々は考えがちかもしれないが、本当の医療現場で求められているのは、痛みや苦しみといった症状を緩和できる薬が求められていることを啓大は改めて知った。そして、痛みを取り去るという行為は、たしかに薬にこそ相応しいと思った。
 希美には、とても重要な意義を持つ訪問となった。希美の記憶には、父の苦しむ姿がもっとも強く焼きついていたが、本当はその向こうにあった父の闘志を憶えておく必要があったのだ。それと、一重から教わった言葉。ひとは、そのひとらしく、生きてきたように死んでいく。それは、希美にとってもっとも大きな贈り物となった。

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