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10年間推した推しへの感謝を込めてと備忘録。

お久しぶりの更新でございます。
わたしです。

2022年5月1日をもって私 は
10年間推し続けた菅田将暉さんの
ファンクラブを退会しました。

リア友やら身内やらネット上のお友達にも
「なんで?」「え?どした?」
と どよめかれました。それはそうですよね。

やっと自分のこの感情を文字に起こせそうなので
noteに書き留めとこうと思い文字を打ってます。

長くなりますがよかったら……
私の推し遍歴も書かせてください。

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私は小学生の時 世代より断然上のTOKIOの松岡くんにハマった。
まわりはド世代のKATーTUNやらHey! Say! JUMPやらに現を抜かしていたところ 私はTOKIO。

あの頃から感性は個性的だった。

24時間テレビでマラソンランナーの山田花子さんが「もし会場でちゃんとゴールできたら松岡くんに後ろからバックハグされたい!」と意気込みを述べてた気がする。
しかし 会場ではゴールできず、急遽ゴール地点を変更し、時間も延長しまくった。

なのに 我らが松岡昌宏兄貴は その変更したゴール地点で山田花子を待ち 身も心もぐちゃぐちゃになってゴールをした山田花子の後ろから抱きついた。

小6のわたしは 「え、なんてこの人かっこいいんだ」と幼いながら心が震えた。

小6ながら初めての推しができたわけで、
そこから芸人さんを推したり、俳優さんやらアイドルを推したりをして(当時は“推し”という言葉や概念がなかったのでファンと書いた方が正しそう)

時は流れ … 高校生の時、Mステをみてて

わ!何この人!歳上だろうけど可愛いすぎる!」となったのが関ジャニの安田章大くんでした。

彼の持つ無邪気な笑顔は高校1年生の私の心を鷲掴みにしたわけで。

多分本格的に “推す”ということを始めたのはこの頃だったかと思う。

今までも雑誌の切り抜きをスクラップしたり
下敷きに挟めたり テレビをすかさず録画したり
したけどファンクラブに入ってコンサートに
行ったのは関ジャニが初めてで 初体験を彼らに捧げました(語弊)

そして “熱量をもって人を応援することってなんて尊いし素敵なんだ”と実感しました。

専門学生を卒業し 就職した時 わたしは衝撃を受けました。

「美容師って土日休みないやん…オワタ!」

そうです。
新人の頃なんて美容師のアシスタントに土日休みなんてものはないし、スタイリストになったとしても土日は働くのが当たり前。1番初めの美容室は特に厳しくて身内の結婚式への出席は許されるものの 友達の結婚式で休むなんていい顔されませんでした。

心が枯れた私は日々毎日疲れていました。

土日の職場に出勤する時、うきうきで団扇の入っているトートバッグをもって おそらくライブ会場に向かうであろう女の子にすれ違った朝なんて心の中で泣いてました。

その時わたしは 「あ、もう無理かも…」と関ジャニのオタクを離脱しました。

ジャニーズを推す上で色んな概念があると思いますが 私の中で現場(ライブ)がすべてでした。

学生時代は遠征もしてたくさんライブに足を運んでた私が ツアーが始まってるのに そこに行けないなんて考えられませんでした。

そんな時わたしを救ってくれた救世主。

そう、菅田将暉くんです。

俳優オタクになって思ったことは
推し事が気軽なこと」でした

※ これは俳優さんとか俳優オタクを軽く見てるわけではございません。気分を害したらすみません。

専門学生の時にちょうどデビューをしてた菅田将暉くんは第1の推しではなく私の中で“癒し枠”でした。

当時の菅田将暉くんを知らない方に説明すると
彼はジュノンボーイのファイナリストから
今現在も所属している事務所、トップコートに
スカウトされ仮面ライダーWとして華々しく
デビューしました。

いまは美しく儚く、そして男らしい菅田将暉ですが
当時のマネージャーさんは“アイドル路線”で
彼を売り込みたかったみたいです(だからライダーかな?)

彼の出演してる作品を見てるうちに
“もうこれは第1に推したい人かもしれない”と思い
気づいたらファンクラブに入会し、できるだけ
映画は劇場公開日に足を運びました。

もちろん俳優さんたちも“完成披露試写会”やら
“初日舞台挨拶”などありますが 倍率がえげつない為
諦めておりました。当時の私にとって、頻繁に
地上波のテレビやバラエティにでる芸能人よりも
映画や舞台に出演する芸能人を応援する方が
気持ちも心も穏やかでした。

ここでまた波乱。

菅田将暉が2016年頃 auのCMで“鬼ちゃん”に抜擢されたのです。一気に菅田将暉という名前は全国区に。

いい意味で菅田将暉は映画界でナンバーワンを極める男だと思ってたので(もう極めてるけど)

そんないきなり爆発的になる?」となりました。

当時20代前半の若者で心が狭かったわたしは

「鬼ちゃんから知ったやつ、み〜んな爆発しろ!」

と荒れ狂っておりました。

少し心折れそうになりましたが
菅田将暉は躍進していきました。

2017年には あの有名なオールナイトニッポンの
パーソナリティに就任し、女性ファンだけでなく
男性ファンもたくさんつきました。
あんなに中学生みたいな下ネタを言う国宝級イケメンはいないよ…

同年、ドラマ映画合わせて11本出演。

その後 歌手デビューをした時には
お世辞でも「上手い」と言えない感じだったのに
いつの間にか 唯一無二な歌手になったと思う。

きっと並大抵ならぬ努力をしたんだろうな
私たち素人にはできないような努力を……

2018年にはアカデミー賞を史上最年少で最優秀主演男優賞を受賞。

真っ赤に煌めくレッドカーペットを歩き、華々しい舞台でトロフィーをもって威風堂々とスピーチをする菅田将暉が未だに残っております。

菅田将暉の俳優業、歌手業、ラジオ、すべて大好きですが彼の“生き様”が本当に好きです。

ストイックに何事にも取り組み、その努力を無闇に話すことなく黙々と仕事に没頭する。
先輩後輩関係なく、人に好かれる人柄も最高に尊敬します。

そして去年、小松菜奈ちゃんと結婚。
小松菜奈ちゃんも大好きだったので2倍に嬉しすぎて人生で生まれて初めて赤飯を炊きました。

プライベートな話ですが 推しとおなじ年号で結婚したすぎて私自身も今の夫と結婚を決めました。菅田将暉が結婚して無かったら 私もしてなかったかもしれません。人生の転機を与えてくれてありがとう。

そんな推しをなぜ離れた?ってなりますよね。

わたしも不思議なんだよな〜…
なにかきっかけがあったわけでもありません。
何も事情を知らない人には
あ〜、結婚しちゃったもんね!」と言われます。

「いや!菅田夫妻が好きすぎて同じ年号でワシは結婚しとんねん!」(フット後藤風ね)

違和感みたいなものを覚えたのが今年の3月。
菅田くんが新しいアルバムを発売、
オンラインライブ開催、そして写真集発売。

嬉しいはずなのに 私は妙に落ち着いていた。

確実にすべて早めに予約していたのに
いつもなら浮き足立ってわくわくしてるのに
今回ばかりは冷静だった。

そしてオールナイトニッポン最終回。

3月は色んな催し物が怒涛のようにあった。

そして4月になってから思った。

私これもう推してないな…」と。

みんなそれぞれ推しの卒業の仕方や、冷め方いろいろあるだろうけど菅田将暉へのその気持ちは突然現れたために自分で消化しきれなかった。

この気持ちは未だになんと言っていいか分からない。
だれかこの気持ちに名前をつけてください。
名前をつけたら連絡ください。

推しが推しじゃなくなった瞬間、
冷酷と言われるかもしれないけどまったく興味が無くなるのが私である。

今までどれだけの熱量で推してても、
その時がきたら“”になるのである。

でも何回も言う。

私の10年間、菅田将暉がいなかったら
今の限界オタクは形成されなかったと思う。

心からありがとうございました。
いつか私の今の推しと共演してくれることを願います。

え、今の推し?ん?

ってなった方。これはまた次回お話します。
(思ったより長くなってしまったので………)

★次回予告
・お正月から予兆は始まっていた
・あまき、また関西人を推しにする
・あまき、ジャニーズの沼について語る

の3本でございます(あくまで予定)

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