見出し画像

自分ご褒美の大切さを教えてくれた手作りチョコ


先週あったことを書かずに終えるところだった。

先週月曜日はバレンタインデー。
職場環境や自分のライフスタイルのおかげか、
バレンタインデーは私の中では完全にチョコレートの日(笑)。

あちこち並ぶ珍しいチョコレートに目移りしながら、大抵、お気に入りをひとつ買うか、チョコレートとは思えないその値段に驚いて何も買わないことも多い。

今年のバレンタインは月曜日。
結局自分チョコレートは買わず、職場でいつものお茶菓子がわりにチョコレートを配ったぐらいだった。

そして先週後半。
私が支援しているAさん(注:詳細書けないが、Aさんは未成年の学生)からチョコレートをもらった。しかも手作りチョコ。材料にこだわったらしく、しかも、どうやってラッピングしたんだろうというほどきれいに、そのチョコはかわいい紙に包まれていた。

バレンタインデーは過ぎていたし、最近の慌ただしさのせいか、すっかり過去のことになっていたこともあり、予期せぬ贈り物はとっても嬉しかった。

私がもらった同日、違う立場からAさんを支援しているスタッフもチョコレートをもらっていた。
その日帰りがけに、その方と、〝本当に嬉しいですよね〟と互いに話していた。そして、その方が、〝お返しは何がいいかな?〟と言った。

そう言われて、私はハッとした。
その場では、〝そうですね、何がいいでしょう?〟と咄嗟に返していたが、心の中では、ちょっと焦っていた。

場面によるとはいえ、人から何か頂き物をしたら、お返しのことが浮かぶ。バレンタインに学生から手作りのチョコレートを受け取ったならなおのこと。ホワイトデーは?と思うのは私の中ではいつもの流れだ。

確かにAさんは日頃のお礼ぐらいのつもりだったかもしれない。それにしても、その時の私はびっくりするぐらい、未成年学生へのお返しのこともホワイトデーのことも何も浮かんでいなかった。浮かんでいなかったことに自分が驚いた。

私に何があったんだろう?
なぜ浮かばなかったんだろう?

少し自分の中を探ってみた。

ひとつ理由らしきものが浮かんだ。

受け取ったチョコレートは、日頃頑張っている私に対するご褒美として当然に得たと思った可能性があった。
私自身は、今回チョコレートをくれたAさんを頻回にサポートをしている。会う約束していながら、当日ドタキャン、ということも何度もあった。

支援をしている人たちの中には、予定通りに物事をこなしたり行動したりするのが難しいこともあるから、ドタキャンは珍しいことではない。私自身もドタキャンには慣れっこだし、それも込みでの関わりなので、日ごろなんとも思っていない…はず。

でもいま振り返ってみると、どこかで、いつも以上のことを私がやってしまっていた気がしなくもなかった。例年になく対応する人数が多すぎる中、ドタキャンは他のスケジュール調整にも響いてしまい、かなり痛いと思っていた。
最近は多くのドタキャンに翻弄されて結構疲れていたと思う。

Aさんからのチョコはいつの間にかそんな自分へのご褒美チョコになっていた

おそらく少し無理をして、自分を労うことを後回しにしていた自分の状態を、今回もらったチョコレートが教えてくれた。

バレンタインデーのとき、自分をしっかり労って自分へのご褒美チョコを買っていたら、お返しのことは忘れていなかったかもしれないな。

そう思った。

**********

いつからか、自分ご褒美、という表現が聞かれるようになった。

ちょっとやり過ぎ、疲れている、と思ったら、自分ご褒美してみる。
私も、自分ご褒美、という表現を使って、自分ご褒美でこれを買っていこう、これをしよう、と自分を労うことがある。
今年のチョコレートの日だって絶好の自分ご褒美デイだったはずなのに、すっかり忘れてしまっていたが、こういう自分への労いってとっても大切なことだと思う。

今回のようなことにならにように、自分ご褒美リストを作っておこう。
特に自分ご褒美をすべきタイミングっていうのは、きっと疲れていてあまり頭が回らないときだろうから、元気なときこそ、自分ご褒美リストを充実させておこう。

元々私は大のチョコレート好き。
だから自分ご褒美リストにはもちろんチョコレートも加えておくつもり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?