成長をしっかり味わえる大人がいい

成長している感じが好き

誰もが皆日々成長している。
そう思っていながらも、実感することって案外難しい気がする。

子どもなら、背が伸びた、体重が増えた、といった体の変化がある。
昨日出来なかったことが今日出来るようになったりする。

ところが大人になると、年を重ねているという実感は大なり小なりあるにしても、きっと成長しているはず、と思うだけ。

〝きっと〟とか〝はず〟とかつけたくなるのは、大人の成長は目に見え辛く実感が得にくいから。

私の場合、前に進むとか成長しているどころか、止まってるか、むしろ後退しているんじゃ?とツッコミをいれたくなるようなときもある。

それでも私はどこかで魂というか精神というか、は生涯成長するものと思っているので、後退していそうでも、やっぱり進んでいると思うのだ。

いや、思いたいのだ。

〝私はここにいる〟体験


私はかつてよく瞑想をしていた。歩く瞑想から食べる瞑想まで、色々やった。
いまも前ほどではないけれど、時々やっている。

歩く、食べる。
日頃さほど意識せずやっているこれらの動作。

瞬間瞬間に注意を向けて同じ動作をすると、本当に不思議なことに、普段ならただ過ぎていく動作の背後に流れる感覚の豊かさに圧倒される。

例えば、目の前にある食べ物を、目を閉じながら口に運ぶ。ゆっくりと。すると、口の中に入ってきた感じがわかり、歯や舌に触れる感じもわかる。そして…最後に飲み込んで喉から下に落ちていく感覚までしっかりわかる。

普段の食べる行為となんて違うのだろう。

瞑想をすると〝私はここにいる〟ということを実感出来る。

先日、この瞑想の時と同じような感覚を体験した。

瞑想ってなると、いつもひとりだけど、同じ感覚を体験したのは、周りとやり取りしていたとき。

最近、直接もしくは電話で、メールで、note上で、自己理解に関して、周りとやり取りする機会が増えている。
やり取りしたあとに、理解が深まったというだけでなかった。

私はここに確かにいて、その私が前に進んでいる感じ。

この感じをしっかり味わった気がした。

自分ひとりの世界に浸っているだけ、ひとりで瞑想しているだけでは決して得られなかった体験だった。

誰かといても自分を実感する

そもそもどういったことで、周りとやり取りしながらも、今回私はここにいて、進んでいる感じを味わったのだろう?

振り返ってみると…
自分のペースで自分の感覚を確かめながら周りとやり取りしていた。

どうやらこれだけ。

私はどこかで、自分のペースで、ということの意味を、自分〝独りで〟を大前提としていたようだ。

他人が近くにいるとペースが乱されるような気がしてならなくて、自分を確認するにはひとりの空間を大切にしなくてはと考えていた(HSPらしかったりもするのだけど)。

これまで散々に自分のペースを乱され続けたかつての家庭環境を考えると、私には自分独りのペース確保は一時期必要だったと思う。

そしてそれもかなり満たされてきたとき、誰か、私のペースを尊重してくれる周りの人とやりとりすることで、自分のペースを維持しながら、かつ、自分ひとりでは得られないものを得ることが可能だ、と改めて気づいた。

人といても自分は自分でいい、そのまま自分のペースで進んでいい。

そんな当たり前といえば当たり前のことを実感出来た。

自分独りでいるときも、人とやり取りするときも、自分のペースをそのままに得られるものがあるなら、それこそが進んでいる、成長している実感を伴う。

もっと自分ペースを維持出来るようになりたい。
ひとりのときも誰かといるときも。

そういえば、私はついこの間も、同じようなことを自分に言い聞かせていた。
自分の中にあるリズムを掴め、と。

私でいることをいつも実感出来るようになるための鍵はすでに手に握っていた。
ただ、握っている感触を実感していなかっただけだった。


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