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自分同士を比べて納得する


自分の中の余白も大事

もともと私はインテリア関係全般が好き。

煮詰まったときのレイアウト変更や模様替えは気分転換のひとつ。

すっかり習慣となったプチ断捨離をして、それまでの物たちの住所をあっちにこっちに変更する。

すると思わぬ新たな空間が出来たり、ちょっと違った景色が見えてきたり、日頃の動線も変化したりして、なかなか楽しい♪

他の人のアイディアも知りたくて、ミニマリストやシンプリストの方もしくは目指している方の動画配信も時々見る。

先日も、自分はなぜミニマリストになったか?なりたいか?を話している人たちの動画をみていた。

そのとき記憶に残ったのが、〝余白も大事〟ということ(ちなみに、話していたのは、ミニマリストしぶさん)。

ひとつの表現が自分の中に留まったことに気づいたとき、

あー、私は自分の内側をクリーンにして、余白を残したいんだ。
自分の中に余白というゆとりを持ちたいのだな。
何が足りないんだろう?と、ついまた余白を埋めようとするところだったな。

そんな気持ちに気づいた。

最近の私は、いつの間にか自分の住まいを片付けているつもりが、内側を片付けていたりする。

もちろん動画は〝住まいの〟余白の話だったけれど、私は自分の内側のこととしてとらえていた。

私にとってはそれが自然だった。

自分同士を比べてみる

自分の中の余白。

そういえば…自分の中にスキマを作りたい、スキマは大切、という思いがあって、以前記事にしていたことを思い出した。

時に昔の自分のnote記事って、古い写真のように、そのときの自分をたぐり寄せる手がかりになる。

あの記事を書いたときはどんな気分だっただろう?全然覚えていない(苦笑)。

読み直してみる。

書いたのは確かに自分の中の余白、スキマのことだった。

どうするか?何をするか?っていう点から色んな可能性を考えていたらしい。
この時私は、DO 、つまりなにかすること、しないことという点でのスキマに注目していたみたいだ。

一方、今の私が気になっているのは、どっちかというと、BE

どうありたいか?どんな気分でいたいか?
そのスキマ、というか心のゆとりや状態に注目したい自分がいる。

自分が共通項。
過去の自分と今の自分を比べてみる。

違いが際立つ。
しかも妙に納得感もある。

同じように見えていたことが実際は微妙に違う。
少しずつ変化成長する自分が浮かび上がってくる。

なかなか面白い。

納得感が湧いてきた

書きながら気づくことって多い。

自分同士を比べたら、そりゃ納得感もあるよね。
というか、納得するしかない…。

同じ人。
条件は同じだもの。

こうして書きながらつい可笑しくなってしまう。

やっぱり私は私だし、私でいいんだ。

あえて言葉にしてみる。
なかなか簡単にそう思えないことがあるから。

つい周りを見て、自分もあんな環境だったら全然違うのに、と考えてしまうことがある。頭でわかっていても、気持ちがついていかない。

このパターンになることは、最近かなり減っているけど、皆無ではない。

よくやってるじゃん!と褒め称えたくなることもある。
これは自然に出来るときと、ややムリして不自然なときがある。

でも自分同士比べたら…
過去の自分も今の自分も認めたとき…

納得しかない。

つまるところ、自分のライバルは自分ってことだ。

そう思ったら、またじんわり納得感が自分の中で広がってきたみたいだ。

このじんわりした納得感。
最近の私は好きらしい。

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