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♯19 自分の考えをもつために

 19回目のnote投稿となりました、霜月天治郎です。今回のテーマは、「自分の考えをもつための手立て」です。算数と道徳から考えていきます。以下が、本稿の要旨です。

自分の考えをもつことができるようにするための1つの手立ては、『既習と結び付けること』です。その上で、形式的に既習を振り返る時間を取るのではなく、必然的に既習を振り返る導入にできると、本時での本質的な学びの際に自分の考えをもちやすくなると考えます。また、自分の考えをもちやすくするためには、「子どもの問い」が欠かせません。子どもが自分で考えたくなる「問い」をつくるためには、「教材」と「教師の投げかけ」に依存する部分が大きいということです。 

(1)自分の考えをもつために~問題提示~

 算数の時間に、子どもたちが自分の考えをもつことができないことで悩まれている先生方もいらっしゃるでしょうか?私も、若い時は悩んでいました。今回は、昨年度の私の実践から、その手立てについて考えていきます。

 1⊡まいのせんべいがあります。1人に3まいずつ分けると、何人に分けられますか。

 あまりのあるわり算の導入の時間です。子どもたちは、上記のように問題文が提示され、式を「1⊡÷3」と立てました。もし先生方が同じ時期の3年生だとして、「どんな数を⊡に入れたい?」と投げかけられたら、何の数を入れますか?おそらく「2」か「5」か「8」を入れたくなるでしょう。なぜなら、それらが既習のわり算だからです。子どもたちも同様でした。

 「12÷3」か「15÷3」か「18÷3」のどれから取り組むかは、子どもたちに委ねました。既習であるため、全員がどの式かの答えを導きだしました。つまり、自分の考えを一応もつことができているわけです。自分の考えをもつことができるようにするための1つの手立ては、「既習と結び付けること」です。その中には、全部答えた子もいますし、なぜその答えになるかの理由を書いている子やおはじきで確かめている子等もいました。この自分で問題解決の内容や方法を意思決定することが、個別最適な学びの第1歩です。

 話を戻します。3つの式の答えを確認した後、以下のようなやりとりがありました。

C1 でもうまくできないときがあるよ。
C2 そうそう、あまることもあるよ。
T  2人の気持ちがわかる人?
Cs わかるー!

 そこで、ある子どもから出たあまることもある「⊡=3」の時、つまり「13÷3」に取り組むことになったのです。以下は、その時間の板書です。

あまりのあるわり算の導入の板書

 ほとんどの子どもたちは、導入で必然的に既習のわり算を解決していたため、それを生かして自分の考えをもつことができていました。導入の時よりも、理由を書いている子が多かったですし、「もしも⊡=4だったら…」と発展的に考えている子もいました。もちろんなかなか考えをもてない子どももいました。そういった子どもたちは、以前のnoteでも紹介した「自由交流(天治郎学級では通称『さんぽ)」をしていました。

 「自分の考えをもつことができるようにするための1つの手立ては、『既習と結び付けること』です。」と上述しましたが、形式的に既習を振り返る時間を取るのではなく、必然的に既習を振り返る導入にできると、本時での本質的な学びの際に自分の考えをもちやすくなると考えています。

(2)自分の考えをもつために~問いの生起~

 下の板書は、昨年度の1学期最後の道徳の時間の板書です。

道徳の板書

 導入では、同じ内容項目の授業を振り返りました。その後、簡単に条件・情況を確認して教材に入っていきました。判読する前に私が子どもたちに投げかけた言葉は、
「自然を大切にするって大事だけど、みんなが言うように難しいんだね。じゃあ、ぼくは自然を大切にできていたか、考えながら聞いてね。」
でした。判読後、少し時間を取りました。子どもたちを見て周っていると、多くの子どもたちが板書にもあるグラフのような図をかいていました。中には、グラフのところどころに顔文字をかき入れている子もいました。言葉だけでなく、図でも表現していたわけです。

 さて、なぜ多くの子どもたちは言葉だけでなく、図でも表現していたのでしょう?理由は、

①変化が見える図で表現した方がよい思考場面(課題)だったから
② 同様の図をかく経験を何度かしているから

の2つだと考えます。この「ぼくのホウセンカ」という教材は、場面(時間)によって主人公ぼくのホウセンカを大切にしている度合いが違います。つまり、変化があるわけです。だから、子どもたちの多くは、変化が見える図でも表現したわけです。その方が自分の思考がわかりやすく可視化されると、子どもたち自身がわかっているともいえるでしょう。(何人かの子どもたちにインタビューして確認しています) 

 何が言いたいかというと、「問いをつくるため」には、「教材」と「教師の投げかけ」に依存する部分が大きいということです。これは、どの教科でも同じでしょう。子どもの問いがうまれれば、自然と自分の考えをもちやすくなります。

 一方で、変化が見える図で表現したことが初めてだったわけではありません。板書に描いたことは、この授業で3回目(12回の道徳の中で)でした。少ないと思った方もいるでしょうか?おそらくこの図のよさを実感しているからこそ、またこの図で表現するのです。ただ教えられて、やらされただけでは習得できません。子どもたちが、それらのよさを感じられるようにすることが大切です。

(3)終わりに

 いかがだったでしょうか?子どもが自分の考えをもつことができるようにするために、我々教師は様々な手立てを講じていると思います。私自身、一番大事だと思っていることは、「子どもの想い(~たい)」です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。御意見等お待ちしております。

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