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「ひとり」の時に思うこと。

こんにちは。かじはらです。
小学生の時、朝の登校は「登校班」での通学が決められていました。当時私は、小学1年生でしたが、集団での登校がとてもつまらなくて、どうやったら1人で行けるのかいつも考えていました。

 寝坊を敢えてしたり電柱に隠れてみんなが行ってしまうのをひたすら待ったこともありました。もちろん、班のみんなはプンプン怒っていました。今思うと「ごめんなさいっっ!!」と謝りたい限りですが当時は、私も必死で「ひとりの時間」は私にとって極上の時間だったので、その時間をつくり出すために小さいながらに色々策を練ったのを覚えています。

 いざ、一人の登校をすると太陽の光を浴びながらなだらかな坂を下りて行きます。子ども達だけが学校に行くために通る道だったので本当に一人だけで歩いていました。ギュギュッと小石を踏みしめる音がしたり、崖の上は、気がうっそうと茂っていたので木の葉が風と共にザァァ!と音を立てることもあり、誰もいないことを外にある音で感じていました。
 5メートルほどの高い崖に沿って学校に行くのでよく断層を眺めては「どうして地面の色が違うのかな」と考えたりしていました。よく見ると小さなアンモナイトや貝が埋まっている事もあって「りかのきょうか書にのってたー!」と感動したのを覚えています。
 こもれびが足元でユラユラしているのをじっと眺めたり踏むためにピョンピョンと跳ねたりしてとても楽しかったので本当に遊びながら登校しました。学校まで行く途中に、駄菓子屋兼文房具屋さんの小さなプレハブのお店があって、そこのおばさんがいつも「いってらっしゃい」と声を掛けてくれいていました。今思うと安全を見守ってくれていたのだと思います。そのおばさんに、怒られたことは一度もありませんでした。ただただ見守ってくれていたのでしょう。のどかな時代でした。

学校への道のりは、スタスタ歩けば子どもの足でも7分くらいでまったく遠くはありませんでした。それでも、寄り道ばかりしていたので、ホームルームの時間に着いたことはなく、いつも一限目に入る休み時間に涼しい顔で教室に入るのが日課でした。
先生も、母もおそらくその事を知っていたと思いますが怒られた記憶はありません。確か一年時の先生は年配のベテラン先生だったと思います。ちょっと変わった生徒(わたし!)の個性をギリギリのところで見守ってくれていたのかな、と思って今ではとても感謝をしています。(30歳くらいになって、母が先生に注意を受けていたと聞きました。ごめんなさい‥。)

さて、何故こんな昔話をしたかというと当時の「ひとり登校」は私の中で1人で過ごす時間の使い方を教えてくれました。当時から何を考えているのか分からない私の行動は大人たちには不思議に思えただろうと思うのです。それでも、怒る事もなくそっとひとり登校をさせてくれていました(?)。そして、大人達が見守る中、わたし(子ども)は存分に自分の世界を堪能したと言えます。今でもみんなと過ごした後の「ひとりの時間」は私をリセットする大切な時間になっています。
 今の社会は、親も子どもも忙しいですが、そういった「こども時間」が大人になってから「いい時間だった」と思えることを、今の大人達に知って欲しいなと思いました。



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