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求めに応じるのは得意だけれど

最近とある募集に申し込んだことがきっかけで、就職活動のことを思い出しました。

入社3か月で適応障害と診断された私ですが、就職活動はとても得意でした。得意というか、相性が良かった。

どういうことかというと、(新卒の就活だけかもしれませんが)内定をもらうには採用担当の方に「うちの会社に欲しい!」と思われればいいわけで、そう思われるためには、会社が求めているものを私が差し出せますよとアピールすればいい。

要は、会社が求める人物像と自分がマッチすれば内定がもらえる(と私は思っています。人事の仕事をやったことがないのでわかりませんが…)。


私が就職活動と相性が良かったのは、求められるものを差し出すのがめちゃめちゃ得意だからだなぁと最近気がつきました。

この記事で書いたように、小さい頃から父や兄が望む状態になるよう振る舞うのが当たり前でした。

空気を読む力がつき、相手がなにを望んでいるのか、自分がなにを求められているのか、ある程度わかるようになりました(そういう人、きっとたくさんいるんじゃないかな)。


今回申し込んだ募集でも自己PRを考えたりしているのですが、「ここではきっとこういうことが求められているだろうから、AよりBを伝えた方がよさそうだな」といった具合に考えています。

それは決して嘘をつくわけではなくて、自分という人間のどの部分を知ってもらうのがより効果的かを考えるイメージで、これが結構楽しい。

相手が求めているものが明確にあって、それを理解して差し出すというのが、自分にとっては自然で楽なことなのだと思います。


それは同時に、求められているものが明確じゃないと、どうすればいいかわからないということでもあります。


就職活動など仕事の文脈では「こちらはこれを求めていますよ」というのが明確だけれど、仕事以外、友人関係などでは、明確じゃないことが多いというか、あまりに明確なのは損得だけで関係性を築こうとする場合であって、不自然なのかもしれません。

好みや相性の良し悪しはあっても、「あなたはどんな価値を提供できますか?」という話ではないはず。

そんな場面で重要になってくるのが、「自分がどうしたいか」だと思います。

どんな自分でいたいとか、どんな人と一緒にいたいとか、どんな時間を過ごしたいとか…

そういう、自分が望むものがまずあって、相手のそれと照らし合わせて、歩み寄ったり合わせてもらったり、ときには離れたり。それが、求められるものが明確にないときの関わり方なのだと思います。


けれど、ずっと、相手が求めるものを差し出すことばかりしてきた私には、自分がなにを求めているか知るのは容易ではありません。

久しぶりに自己PRを考えてみて、自分が得意なことと苦手なことが鮮明に見えてきた気がします。


誰に求められるわけでもなく、自分のいたいようにいればいいのだと、知ったのはつい最近のこと。

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『深い雑談』というものをやっています!

日々なにを考え、その日の出来事になにを感じたのか。そんな、人と話す機会はあまりないけれど、間違いなくあなたを形作っていることについて話したいときは、ぜひ私を思い出してください。

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