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兄にも恋人にも、自分を消して顔色を伺っていた

最近は、過去の兄との関わりを思い出すことで、自分の考え方の癖と向き合っています。


兄の振る舞いや、それによって負った傷について思い出すうち、兄と元恋人に通じる部分があることがわかってきました。

というのも、以前付き合っていたAさんとの記憶には、灰色の靄がかかっているような感覚があったんです。

「思い出したくない」ともちょっと違くて、「あの頃の自分はあまりいい状態じゃなかったな」とか、「うまく言葉にできないけどなんかつらかった気がする」という感じで、ちょっと異質な過去として自分の中に残っていました。


共通点は主に3つ。

①「俺が正解」

兄もAさんも、自分が正しいという意識が強かったような気がします。

また、「自分はこう思う」というような言い方ではなく、「普通こうでしょ」というふうに一般論として意見を言うことが多く、それによって私は「自分だけ間違ってるんだ」と思い、自信がなくなっていきました。

今なら、向こうがどれだけ自信満々だろうが「それだけが正しいわけじゃない」と思えるけれど、当時の私は自分の意見や考えに自信がなかった。

だから、つい向こうの言うことが正しいと思い込んだり、自分の意見は大したものじゃないと思ってしまったのだと思います。


②負けると不機嫌になる

兄は子どもの頃負けるのがすごく嫌で、なんなら負けそうになると途中でやめるほどでした。

なにかを決めるためのじゃんけんも兄が不機嫌になるのが目に見えているから、自分から譲っていました。

そういえばAさんとゲームをしていたときも、珍しく私が勝って喜んでいたら微妙な空気になり、それ以来ゲームをやらなくなったことを思い出しました。

さすがにいい歳だったのであからさまに不機嫌にはならなかったけれど、「あ、私が勝っちゃいけないんだ」と思いました。


③睡眠に難あり

睡眠障害があり、満足に眠れていない点も共通していました。

Aさんがあまり眠れていないと、「自分がいなければもっとよく眠れたんじゃないか」と考える癖がありました。

洗面所の物音に気を遣うなどして、兄の睡眠に影響が出ないよう意識していたから、人の睡眠の質にまで責任を感じるようになっていたのかもしれません。

↓ 兄と物音の記事


これらのことから、私は兄に対してもAさんに対しても

“自分を消して顔色を伺う”


という関わり方になっていたことがわかりました。


理想的な人間関係はおそらく、各々が自分の意思を持ちながらも、互いに相手のことを想像し歩み寄れる状態だと思います。

ですが私の場合、自分の意思が確立されていない上に相手の意思や主張が強いことで、合わせる側合わせてもらう側にくっきり分かれてしまったと考えられます。


自分を出してもぶつかるだけなら、相手に合わせた方がマシ。
そう思うのも無理はないけれど、もうこんなのはうんざり。

まず自分が自分の意思を尊重できれば、自分を消してまで関係性を築くことはしないような気がします。

自分はどうしたいのか。結局はこれなんだなぁ。

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『深い雑談』というものをやっています!

恋人との関係や、家族に対するモヤモヤ。「うまく言葉にできないけど考えてみたい」というときは、ぜひ話しながら考えてみませんか?


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