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ネガティブ思考は、ネガティブな反応ばかり経験してきたから?

私が物事をネガティブに捉えがちなのは、「兄にうるさいと思われてないかな」と常に考えてきたからかもしれません。


私は、良くない方の想像をする傾向があります。

自分の振る舞いが誰かを不快にさせているかも、とは思うのに、その逆の可能性もあることは忘れているような感じ。

電車で泣く赤ちゃんは、誰かにとっては不快でも、別の誰かにとっては微笑ましかったりする。

それと同じように、私の振る舞いに対する受け取り方もいろいろなはずなのに、良い方の想像は相当意識しないと難しいなと思います。


不快にさせることの不安感は、この記事で書いたように、怒りを向けられることへの恐怖心から来ているのだと思います。

それに加えて、私が良くない方の想像をする原因も、兄との関わりが関係していそうです。


兄は音に敏感で、兄が会社員だった頃は特に気を遣いました。

兄の部屋と洗面所が近いため、睡眠を妨げないよう、お風呂は兄が寝る前に済ませたり、物を置く音を立てないようにするなど、細心の注意を払って生活していました。

子どもの頃は、私が母に話す声がうるさいとよく言われていました(公共の場で声のボリュームをやたら気にするのも、これが関係していそう)。


今はそこまで気を張る必要はないのですが、長年の癖が未だに残っているようで。

昨日、歯磨きを終えてうがいをしているときに兄の部屋のドアが開いていることを思い出し、洗面所のドアも開いているということはうがいの音が丸聞こえだと気がつきました。

そのとき頭に浮かんだのが、「私のうがいの音が兄を不快にさせないだろうか」ということでした。


状況は、〈うがいの音が兄に聞こえている可能性がある〉というだけ。

仮に聞こえていたとして、〈特になにも感じていない〉という可能性もあれば、〈いい音だと思っている〉という可能性だって全くないとは言い切れない。

にも関わらず私は〈不快に思う〉可能性だけを想像していました。


なんでだろうと考えてみて思い浮かんだのは、「私の振る舞いに対してネガティブな反応はされたことがあるけれど、ポジティブな反応はされたことがないから」です。

ネガティブな反応とは、「話し声がうるさい」と言われたり、「物音が気になって目が覚めた」と言われたり。否定や非難のニュアンスが含まれているイメージです。

ポジティブな反応とは、例えば「ゆめがいると家の中が明るくなる」とか、「○○してくれてありがとう」とか。肯定や感謝。

自分の振る舞い、もっといえば存在そのものに対して肯定的な反応が返ってくる関係性なら、「うがいで不快にさせないか」なんて考えないと思うんです。

でも兄との関係性は、否定や非難の記憶があまりに強い。

反対に、肯定的な反応が返ってきたり、感謝された記憶がほとんどない(そもそもコミュニケーション量が少ないのもある)。


だから兄に対してはネガティブな想像をするのかもしれません。
そしてそれが癖になって、他の人に対してもそうなっている。

そうとわかれば、意識的にポジティブな想像をしてみたり、ポジティブな反応をくれる人との関わりを増やしていくという策がとれそうです。


最近は兄との過去と向き合う時期みたいです。
ずっと忘れていたけれど、なかなか傷ついていたんだなぁ。

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