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私、家の中で孤立していたらしい

連日、私の反抗期について書いてきましたが、怒りを吐き出せたからか、今はとてもすっきりしています。

親に対して、からっとした諦めのようなものを感じているんです。

諦めというと悲観的だったり良くないものと思われるかもしれませんが、私にとってこの諦めは、前向きで、希望に満ちたものに思えています。

これまで親に対して求めていたものが、求めても仕方のない・求める必要のないものだと気づいたというか、そもそも自分は本当の意味でそれを求めていなかったと気づけた、という感じでしょうか。

満たされなかった過去の気持ちを認められたことで、結果として求めるという感覚そのものが消失したように思います。

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さて、今日は“私のあらゆる価値観のベースになっている話”をしようと思います。

それはなにかというと、家族の中で孤立していたという話です。

私自身最近自覚したばかりなのですが、辻褄が合いすぎて衝撃を受けました。私という人間を語るうえでとても重要な気がするので、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。




孤立なんて無縁だと思っていた


自分で言うのもなんですが、私は友達が多いです。

基本的に人が好きで、誰とでも話せます。仲良くなりたいと思ったら自分から話しかけにいけるし、話すのが苦手なタイプの人が私には普通に話せる、ということもよくありました。

大学時代は予定を立てようとしても1,2か月先しか空いていない、というくらい、予定が詰まっていました。人と会っていない時間を見つける方が難しい、といっても過言ではないくらい!

家族とも仲が良くて、母とは友達のように恋バナもしていました。父は私と話しているとすごく楽しそうだし、兄も妹思いで優しい。あたたかい、幸せな家庭に育ったと思っていました。


まさか、自分が孤立していた?


自分が孤立していたのかもしれないと気づいたのは、友人との対話の中ででした。


小学生や中学生の頃、クラスで孤立しているような子を放っておけないというか、2人ペアを作るときなんかは率先してペアになるなどしていました。

自分にとってはごく自然なことで、「いい子に思われたい」などという理由というより、ただ全体が丸く収まるにはなにが最適か?を考えての行動だったのではないか、と思っていました。

就職したばかりのときも、輪に入れずにいる高卒の子たちに声をかけ、少しでも安心できる環境づくりを心がけていました。


輪に入れずにいる人へのセンサーは我ながらよく働くなぁと思っていたし、
「こういう状況だときっと不安だろうな」
「こんなふうに声をかけたらきっと安心できるだろうな」
と、相手の気持ちを当たり前のように想像していたのですが、よく考えると、孤立した経験がないはずの自分がなぜこんなにも想像できるのか、ずっと疑問だったんです。


そんな話をしていたら友人から、

「もしかしたら、ゆめ自身が孤立してきたから、孤立している人の気持ちがわかるんじゃない?」

と言われました。


しばらくは、呆然としていました。

私が、孤立してきた…?

受け入れられない、という段階ですらなく、あまりにもピンとこなくて、きょとんとしていました。


言われてみると…


なぜそう思ったのか友人に聞いてみたところ、

小さい頃からお兄さんに親の注意が向いていたのだとしたら、家の中でゆめが孤立するような状況だったのではないか

とのことでした。


今まで兄の話をしてこなかったのでここで簡単に説明すると、

・小6の頃不登校に
・中学もほぼ行かず
・高校でいじめにあい通信制に
・大学卒業後就職するもパワハラにあい退職
・20代で発達障害と診断される

たった5行で兄の人生を語るなんてできませんが、これだけでもなかなか大変な人生だったことがわかると思います。

さらに今振り返ると、幼少期の頃からの気難しさは発達障害の特徴だったのか…と思い当たる点がいくつもあるようですが、当時はそんなことわからなかったので、母はとにかくどうすればいいかわからず苦労したそうです。


私の小さい頃を一言で表すと、手がかからないだと思います。

机の下に入ったと思ったらそのまま寝る、公園から帰ってきてもベビーカーの中で寝続ける、母が離れても起きない…

母からしたら、兄のことで手一杯な中、私がすやすや寝ているのはとても助かっただろうと思いますし、実際にそう言っていました。

かつての私は「自分は手がかからなかったんだ!寝ているだけでお母さんの役に立ってたんだな、良かった」なんて思っていました。

でも今思うと、小さいながらに大変そうな母を気遣い、少しでも負担を減らそうと振る舞っていたとも考えられます。


兄が小6のときが最も大変で、家は兄中心に回っていました。

兄は部屋に閉じこもり、物に当たったり叫んだり。それに対し父はどうにかしようと試み、母は苦しみに顔を歪めていました。

私は、暴れる兄の危険が及ばないよう、遠ざけられるように自分の部屋にいました。自分にできることは、さらなる負担をかけないこと。そんなふうに思っていたような気がします(厳密には、当時の記憶はほとんどありません。これから少しずつ、当時の自分が感じていたことを思い出していけたらいいなと思っています)。


振り返ると、いつだって我が家は

父母兄+私

という構造だったように思います。

我が家の構造イメージ

私は3人のバランスを見て、その都度足りない部分を補ったり、必要な役割を演じる。

家の中の空気が暗かったら明るく振る舞うし、学校に行けない兄の代わりに私が学校に通うことで、母を安心させていました。


私に向く親の目は、いつも兄ありき。兄を通してしか見てもらえない


そんな感覚が、今思うとあったような気がします。


孤立していたと知り、なぜだかほっとした


まさか自分が、家族の中で孤立していたなんて。

考えたこともなかった可能性を突き付けられ、初めは戸惑いました。「まさか、そんなわけ…」と反論しようともしましたが、考えれば考えるほど納得してしまって。

「あぁ、そうか。私はずっと、孤立していたんだ」

気づけばそれを事実として受け入れていたし、あまりに自然で違和感がなく、とてもしっくりきていました。


すると次第に、ものすごい安心感に包まれたんです。

不思議ですよね、孤立していたと知って安心するなんて。

でも、私にとっては、長年の謎が解明したような、隠されて見えていなかったものが見えたような、そんな感覚だったんです。

やっと本物の自分に会えた

そんな気持ちでした。

本当は孤立していたのに、そのことに自分自身が気づいていないわけですから、ある意味今までは偽物というか、偽りの姿だったんだと思います。

自分は孤立なんかしていない、孤立していることを知られてはならない

そんなふうに思って生きてきたのかもしれません。

だから、孤立してきたという本来の自分を知ることができて、ようやく「もう偽りの自分でいなくていい」と思えたのだと思います。それゆえの安心感だったのだろうと。


孤立による悲しさの総量を減らす


クラスで孤立しがちな子とペアを組んだり、輪に入れていない人に声をかけたり…

これらは、孤立している状態の苦しさを知っているがゆえの行動だったと言えそうです。

もっと言うと、自分がかつて感じていた苦しさや不安を、他の誰かが感じている状況に耐えられなかったのかもしれません。


孤立することによって生まれる悲しさの総量を減らすこと


これが私の原動力であり、願いと言えそうです。


長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました!


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