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身内間のセクハラがなくなら無い限り、女性軽視は変わらないってこと。

私が嫌いなことは「年下だから」という理由で

このこは考えてないだろう、
教育のため批判してもいいという前提で
決めつけられたり、監視をされること

もう一つは「女だから」といい、
進学や仕事の決め事に口をだされることだ

私は九州出身で、大学まで地元に育ち

周りに反対をされながら、就職時に上京をした。

「女だから、地元に残るべきだ」
「女のこが都会に行くのは危ない」

毎日のように親や近所の人、地元に残る男友達に言われた。

私は男だとしても「長男なんだから残りなさい」と言われるのを知っていたので

女であることを恨むことはしないようにした


上京をして、男性と同じように平等に働くということを決めていた。
総合職採用で決まったことでこの会社に決めた。

営業の成績は同期内で1番だった。

お茶出しは新人の仕事だったが、当たり前に男性社員も交代で出していたことが、すごく嬉しかった。
それだけでも上京をして良かったと
決断したことを誇りに思った。

「何回目でホテルにいく?」
職場の飲み会の席で、隣にいた役員の男性に言われた。

皆が役員の話をきいている。
周囲にいる出世願望が強い男性陣の視線は私のもとに向けられた。
それに私は硬直をした。

私は硬い表情で、「行かないです」と返事した。

ああ、私は女にしか見られていないんだ
と会社に入り初めて感じて
すごく痛くなった。

私がもし男だったら、この役員のおじさんと「新人だったらあの子がかわいい」
など、周りの男性たちのようにいえたかもしれない
誰が風俗にかよってるとか、
笑って流せただろう。

お客さんに「女だから」と何か言われた事はない。

私が仕事をしていて初めて感じた
女であることの扱いは忘年会での席だった。

「それぐらい慣れないといけない」

そう女性の上司から言われたから、私は絶句した。(その方はのちに人事の仕事をしはじめたから驚きだ。)

「年下だから」と舐められるのは、年月が経てばどうにかなる。

女だからという個性はこの先も付き合っていかなければいけない。

そして、私は女であることに気づくと
とてつもなく自信がなくなるのに気づいた

「女の子なのに大学に行くのは贅沢だ」
中学のときから親戚や親に言われてきた。
だから私は大学に行かない方向を考えていた。

しかし高卒のお給与の事情を知り
1人で生きていくことの難しさを知り
大学進学を決めたとき、とててもなく罪悪感があった。

親族からの祝いの言葉もなかった。
毎年正月は親戚が集まった。

わたしはこの集まりが
葬式のように暗い雰囲気で苦手だった
箱根駅伝をただ流し、みなゆっくりとお節を食べる。

会話はいつも大人たちが子供の話を
一方的にするだけだった

「高学歴はもてない」
「あなたは男に冷たいから結婚できない」
「この子は色気がないから恋人ができない」
父親と母親のそう言ったセクハラ発言のときだけ
親戚の人たちは笑うのだった。

私は笑い者にされるのが恥ずかしかったし悔しかった。
泣いたこともあったが、より笑いものになるだけだった

そして大学時代の男性たちも同じ考えが多かった

「女のこなら、相手に合わせて話をあわせるようにしたほうがいいよ」

「これぐらいで嫌がっちゃダメだよ」
と手を触られたり、肩を組まれたこともあった   

ここで、反抗をしたところで何もいいことはない。
笑ってはいけない。喜ぶ演技はしない
黙っておくことが抵抗だった

女友達のようにいられない。 
この人たちは私の性格なんてどうでもいい
女ということだけで私を見ているんだ。

社会人3年目の頃
セクハラ、パワハラについて社会全体厳しくなった
研修がおこなわれ、専用の窓口もできた

それからは飲み会で嫌な思いをすることはなくなった。


しかし、やはり家族にあうと
相変わらずの性いじりに会う

「女なのに仕事ばかりしてて大変」

「あなたが髪を染めるなんて、笑っちゃう。」

私は思う。
いかに会社で厳しくとりしまっても
家庭のなかでセクハラがなくならない限り
世の中は変わらないだろう

同級生の男子たちも、もしかしたら会社では発言に気をつけつけてるかもしれない

しかし、家族や周りの人の影響で
奥さんや子供には同じことをしているだろう
"それぐらい言ってもいい"
という権利を持ってると勘違いしてるだろう

女であるという個性、役割は社会的に変化をしている。

"女性が輝ける時代へ"

それを聞いて男性はどう思うか
なにを感じるだろう

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