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ドラゴンタトゥーの女

 ドラゴンタトゥーの女が今でも忘れられない。


 去年の12月、あと10日ほどで激動の2022年(毎年誰かしらの激動の年である)が終わりを迎えようとしていたあの日、俺は歌舞伎町でぼったくりに遭った。ライブ終わり、同期の芸人4名と飲み屋を探し歌舞伎町を歩いていると、当然のようにキャッチに声をかけられる。キャッチについて行ったことはこれまで幾度となくあるが、ぼったくりというものに遭った経験は皆無だった。そのため今回も大丈夫だろうと、水色フリースできっちり防寒し白い歯をきらりと見せつけてくるキャッチに安易に心を許してしまった。

 水色フリースキャッチに先導され、目的の店が入っている雑居ビルに到着。店に続く細い階段を登ると3階にその店はあった。躊躇なく店のドアを開け中に入ると、すぐ右手にあるレジカウンターで女性店員が退屈そうに指でレジを弄んでいた。

 「あ、こちらです。どうぞ。」
 我々の訪問に気付いたその店員は、グラデーションを一才排除し突如接客モードへとモデルチェンジ。歌舞伎町ではよくある光景だ。

 個室に通された我々はどさっと席に着き、自分の荷物を置く適切な場所を探し始めた。すると先程とは別の女性店員が現れ、「お通しです。」と解凍が6割ほどしか進んでいない枝豆を1皿荒々しく置き去って行く。


 さて宴を始めますか。
 まぁまぁあんたそんな急ぎなさんなと、机に置かれたおしぼりを使い各々が自前のおしぼりルーティンで身を清め始めた最中さなか、壁際に座っていた俺は不自然に存在する20cm四方ほどの張り紙に気付いた。

 そこには
 「週末料金2000円、席料2000円、お通し代3000円。」の文字。

 ルーティンは哀しくも中断され、宴モードだった我々に不穏な緊張感が走る。すぐさま店員を呼び確認。「はい、どーされましたー?」男性店員が来る。居酒屋店員特有の呑気な声だ。

 俺「あのー、この張り紙に書いてる料金、キャッチの人からは聞かされていなかったんですが。」
 店員「あ、それクリスマスから適用されるやつなんで今日はかかりませんよ。なので無視してもらって構いません。」

 じゃあなぜクリスマス前に貼っているのだ。もちろん張り紙にそんな記載はない。いよいよ怪しい。我々は目を見合わせて小さくうなづいた。ここを出よう。

 1品も注文することなく(当然自らの指の温度で冷凍枝豆の解凍を加速させることすらなく)、すぐさま一度置いた荷物を持ち直し店の入り口に戻る。そこには再びレジ弄びモードへとモデルチェンジした女性店員の姿があった。(型番:KBKTかぶきちょう-2948)

 「すみません、やっぱり出ます。」
 斜め後ろから声をかけるとその店員は不意をつかれたのか機敏な動きでこちらを振り向く。その店員の顔を直視した俺は意図せず怯むこととなった。その女性店員の顔には正面から見て左全体にガッツリとドラゴンタトゥーが入っているのだ。(ガッツリという副詞が適し過ぎて、ガッツリを初めに考案した人を褒め讃えたい気持ちになった)

 その仰々しい模様を目にした瞬間、なぜ店に入った時に気付かなかったのかという自分の注意散漫っぷりに落胆するとともに、ぼったくりとドラゴンタトゥーの親和性のあまりの高さに笑いを堪え切れなかった。福田雄一監督とムロツヨシ、蛭子能収とパチンコくらい親和性がある。



 ドラゴンタトゥーの女(以下、ドラ美)は右耳につけたインカムで誰かと10秒ほどやり取りした後、あらためてこちらを振り向き、「はい大丈夫です。お帰りいただいて問題ありません。」ドラゴンに似つかわぬ、威厳を全く感じさせない細い声でそう伝えてきた。おや、ぼったくりの巣からこうも簡単に逃げ帰ることができるのか。少し拍子抜けだった。

 「あんたはそういうとこが甘いのよ。いい?相手に情けなんてかけてちゃダメ。ぼったくるなら徹底的にぼったくりなさい!!」

 去り際に心の中の女コーチがドラ美にアドバイスを残し、我々はせっせと階段を降りていった。するとそこには、先程我々をこの店へ先導した水色フリースキャッチが仲間を増やして待ち構え、店から公道へ繋がる唯一の逃げ道を完全に塞いでいた。

 「心配いらなかったわね。あなた合格よ。」

 女コーチがドラ美に賞賛の拍手を送る。この子は出来る子ね。



 「ちょっとちょっとどこ行くつもりですかぁー?出てきちゃダメでしょー。お金払ってないですよねぇー。」

 先程笑顔で我々を導いた人と到底同一人物とは思えない口調・表情で、キャッチの群れが我々を捕食しようと敵意を剥き出しにしてくる。

 ここで俺と同期の1人は、キャッチの群れの1羽(黒ウインドブレーカーキャッチ)と共に再度店へ戻されることとなった。(ちなみに同期は柔道経験者。いざという時は暴れてくれるだろう)


 本日2度目。店の扉を開け、再びドラ美と対面する。ただいまドラ美。

 キャッチ「いやー金払ってもらわないと困りますよ。」
 俺「いやさっき払わなくてもいいとお姉さんおっしゃってましたよ。」
 キャッチ「いや言ってない。言ってないから。」
 ドラ美「、、、」
 俺「いやあなたその時いなかったでしょ。(目線をドラ美に移し)お姉さんさっき言いましたよね。お帰りいただいて問題ありませんって。」
 キャッチ「いや言ってない、言ってないから。」
 ドラ美「、、、」
 俺「ねぇお姉さ」
 キャッチ「言ってねぇから。」

 ドラ美は黙秘を続け、目を合わせることすらしてくれなかった。まともに会話する気が感じられないキャッチに腹が立ったが、それよりもキャッチから発言権を奪われ、弱々しくその翼を収納しているドラ美に怒りが湧いた。

 君はどんな覚悟でその綺麗なお顔に大きな大きな龍を入れたんだい?君には何か成し遂げたい夢があったんじゃないのかい?キャッチの言いなりになる今の君を見て実家のお袋さんはどう思うかね。泣いてるよ。お袋さん泣いてるよ。犯人を説得する刑事さながら心の中でトレンチコートをパタつかせ、キセルを咥え直した。

 キャッチ「とりあえず、席料・週末料金・お通し代もろもろ払ってもらいますから。」
 キャッチは捕食の姿勢を崩さない。そこで俺はふいに男性店員の言葉を思い出す。

 俺「いやそれはクリスマスから適用されるんで今日はかかりませんって言われましたよ。」
 キャッチ「は?誰が言いましたそんなこと?言った人連れてきて下さいよ。」

 膠着状態は続く。

 俺「分かりました。ちょっと探していいですか?」
 キャッチ「いいっすよ別に。ちなみにどんな見た目の人ですかそれ。」
 俺「えーと男の店員なんですけど」
 キャッチ「え?うちには男の店員なんていませんけど。」


 この気持ちはなんだろう〜〜♪この気持ちはなん〜だろ〜〜〜♪
 伊坂幸太郎の叙述トリックが現実のものとなり、俺は初めて味わう感情にどう向き合うか戸惑った。
 目に見えない〜〜〜♪エネルギーーーのなが〜〜れが〜〜〜♪



 するとこれまで黙秘を貫いてきたドラ美が突如咆哮をあげる。ドラ美覚醒の瞬間だった。

 ドラ美「きゃは!は!は!は!は!は!は!は!」

 「きゃははははは」ではなく、『は』の一音一音にビックリマークがつく笑い方である。俺は驚いた。腹式呼吸ができている。もしお笑いの養成所に通っていたら、発声の講師に「ドラ美さんブラボーよ」と喝采を送られ、同期から一目置かれていたであろう。こいつ自分の意志はないがパフォーマンス力は高いタイプの芸人だ。きっとネタを書ける相方と巡り会えたら大成するんだろうな。俺はドラ美と同期として共に切磋琢磨している世界線を想像しかけたところで我に返った。

 どうする。もうこれしかないか。起死回生の手段だった唯一の証言者を失った俺に残された、キャッチの群れの駆逐方法はただ一つ。


 『駄々を捏ねる』


 「やだーーー!払いたくないーーー!無理ーーー!マジ無理ーーー!!嫌い!お前嫌い!大っ嫌い!!!!」

 これにスーツを着せ大人の身だしなみをさせた言葉を、キャッチが諦めるまで浴びせ続けた。



 キャッチ「払うまで返さねぇからな!!」

 俺「やだ!!怖い!!帰りたい!!」(スーツ着用)

 ドラ美「きゃは!は!は!は!は!は!は!は!」

 柔道達人(基本の構えを取り、無言で後ろから牽制)



 キャッチ&ドラ美ペア vs 俺&柔道達人ペアのダブルスは20分の死闘を繰り広げた後に勝敗が決した。

 結果は『お通し代の3000円のみ払う。』

 3000円×5人で15000円。出費は痛いが勉強代+ドラゴンタトゥーの参拝料として諦めよう。しかし俺は財布を取り出したところで現金が足りないことに気付く。普段電子マネーで会計している為、あまり現金を持ち合わせていないのだ。(スマートだね)

 試合後に相手とだらだら会話を続けるのは趣味ではないが、これは仕方ない。死闘を繰り広げた戦友に俺は再び話しかけた。

 俺「ちなみにPayPayって使えます?」
 キャッチ「は!?使えるわけねーだろーが!!!」

 今冷静になって考えると、そりゃあぼったくり居酒屋に電子マネーの機器があるわけないと理解できるが、その時は「使えるわけねーだろーがってことねーだろーが!!何言ってんだてめぇ!!あぁん!?Round2やるかごらぁ!?」と心の中で顎をしゃくらせていた。

 ドラ美「きゃは!は!は!は!は!は!は!は!」

 ドラ美も腹式きゃっはーでキャッチを後方から援護する。まだまだ体力は有り余ってる様子だ。

 結局俺は柔道達人に一旦現金を出してもらいその場を後にした。下に残してきた同期達に死闘の結果を告げ、我々はキャッチの群れに見送られながら歌舞伎町を逃げるように帰っていった。


 今彼女は何をしているのだろうか。何か夢を見つけているのだろうか。はたまた、今もご自慢の腹式きゃっはーを歌舞伎町の空めがけ放ち続けているのだろうか。

 ドラゴンタトゥーの女にまた会いたい。

わざわざ読んでいただいてありがとうございます。 あなたに読んでいただけただけで明日少し幸せに生きられます。