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言語化を他人に頼る態度はよろしくない

前にオタキングこと岡田斗司夫が
言ってたことなんだけど、現代の
若者の傾向、そしてSNS全体の
文化として、自分の感情を言語化
するのが得意じゃない人が増えて
いて、言葉に出来ないモヤモヤを
抱えた若者は、自分の感情と似た
ものを的確に言語化したつぶやきを
探してると。そして、そのつぶやきに
「いいね」、noteでいうと「スキ」
かな。それを押すことで意思表示を
する、っていうんですよ。

それ聞いて俺も「なるほどね」とは
思ったし、そういうお手軽な風潮に
流れるのも理解は出来るんだけど、
人間の態度として、感情や意見の
言語化を他者に委ねること自体に
肯定的にはなれません
、個人的には。

今これだけ識字率の高い社会に
あって、個々人が意志の言語化を
放棄する傾向にあるのは正直嫌だし
諦めないでほしいと思うんですよ。
語彙の多寡によって解像度が変わる
感情の言語化において、語彙が
少ないということは解像度が低い
ということ。単純に語彙力不足が
言語化能力の低下とともに感情の
単純化も生んでる
んだと思う。

ただ、ここまで書いてきましたが
おそらく昔だって(というか昔の
方が)感情や意見の言語化が
不得意な人はたくさんいたはずで
今までSNSのように個人が自分の
主義主張を軽々しく表明出来る
メディアがなかっただけの話だと
思うんですよね、実際のところは。
今まで表面化されなかった群衆の
個々の構成要素の表面化。ただ
それだけのことなんだよね。

その上で、主義主張の言語化を
自分ですることを諦めないで、
創意工夫してほしいんですよ。
勿体無いから。あと、上記で
語彙力不足は感情の単純化にも
繋がると書いたけど、感情の
コントラストが薄いと感受性の
解像度も下がる
と思ってて。

言い方悪いけど、赤ちゃん
みたいに「快」「不快」の
二択で、その間の感情の機微
とかが全然ないような人も
相当な数いると思うんですよ。
それも全部が全部じゃないけど
(本人の気質的な問題もあると
思うけど)、自分の意見・主張を
言語化する努力をしてこなかった
から、ゼロ100みたいに自分に
合う合わないを二項対立で区別
しちゃって
、自分に合わない
意見には100の力で怒の感情を
ぶつけるみたいな。そんな人が
ネット界隈では非常に多く見える。
そしてそういう状況は決していい
状況とは俺には思えないんですよ。

ここまでの文章を読んで「こいつ
何が言いたいんだ?」って感じた
人もいるでしょう。おそらく正解。
俺も思考の言語化は下手です
ちゃんと伝えようと思った内容が
的確に言語化出来てるとは自信
持って言えませんね。ただ、俺は
まだ諦めてません。もちろん他者に
強要なんて出来ませんけど、
ちゃんと自分の思考、感情を
言語化して伝えることをみんな
諦めないでほしいと願ってます。

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