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伝説といっても

先日、亡くなられた猿翁さんの追悼テレビ番組を見た。
舞台では一度、三国志を拝見しただけであったが、圧倒的な舞台の使い方、美意識の高さに始終胸がときめいたのを今でも覚えている。

しかし、そこへたどり着くまで、彼の苦悩と鍛練、推考、後世の育成と、凝縮した人生を垣間見られた気がした。

23歳で祖父、父と後ろ楯を亡くしたが、他の家に入ることもなく、厳しい道をあえて自分に科された。

歌舞伎とはどういうものなのかを深く深く探求され、歌舞伎以外の芸術にも多く造詣があった方。

お話しされる言葉の一つ一つが知的で無駄がなく、かといって冷たいわけでもない。
情熱持ってひたむきに逃げること無く、役者という一面だけでなく、絶えず自身に厳しく切磋琢磨された人生だったのだと思う。


京都の顔を描かれるお仕事の方とご一緒した際に、『猿之助さんが一番綺麗な顔を描かれる。』と言って本を見せてくださったことが印象に残っている。
その方もとても綺麗なお顔を描かれていたのだけど、その道のプロの方が仰るということは大変に美しいんだなと改めて思った。

スーパー歌舞伎で懇意にしていたという彌十郎さんや、猿也さん、笑也さん、信二郎さんのインタビューを拝見していたら、厳しくも温かいお人柄であり、鍛練に鍛練を重ねてあの境地を築き上げたのだと、彼らの語り口から推察できる。

脚本、演出、演者と全てを総括するような役者はそう多くない。
昨今多くかかる新作は、どれもアニメなどをもとにしたものが多く、少し辟易している。

令和の今は、舞台のジャンルも数多にのぼる。
2.5次元のミュージカルと歌舞伎版の差別化が図れるのは白塗りと台詞と三味線程度ではないかとさえ思う。

裏方が必死にこさえたものでも、一度だけ話題になっては勿体ない…とも思う。

若い世代を呼ぶための策ということは承知の上ではあるが、歌舞伎たる古典をもっときちんと演じられるように鍛練を重ねて欲しい。

舞台だけに専属していては時代遅れという色合いもあるだろうが、本業が疎かになっていては目も当てられない。

謙虚に貪欲に学ぶ姿勢を、もっともっと先輩から学んで欲しいと、最近の舞台を観劇して思うことが増えた。

自分が年齢を重ねてきたことも、ちょうどいい年代の役者がすっぽりと鬼籍に入ってしまっていることも要因かもしれないが、
『歌舞伎役者』と名乗るからは棘の道を己に科して欲しいと思う。

絶え間なきほどの稽古を重ねた役者とそうでないものは、いくら家柄が立派であろうが客には透けて見える。

傲り高ぶる演技なんてものには惹き付けられるものは私はない。
それらを、賞賛する人々は『歌舞伎を観ている自分』に陶酔しているだけであろう。

歌舞伎そのものが好きではないのだと思う。

若い世代がみな新作が好きかと思って貰っても困るのだ。古典にも素晴らしい狂言がたくさんある。それらを血眼で体得して欲しい。
良いものは時代を越え、人を魅了する。

スーパー歌舞伎や猿翁さんが得意としたケレンは、古典から発掘し今の世に合うようにと構築されたものだ。

歌舞伎とはどういったものかということを、骨の髄まで考えられた方だったからこそ、何度も何度も再演され、ひとつのジャンルを獲得した。

体は滅びても、素晴らしいものをたくさん残してくれた猿翁さん。


私の好きな歌舞伎は、いつまで存続するのかと不安を胸に抱いている。

個性があって素晴らしい、自分で誉められない人が日本人には数多くいます。それとと同時に自分の不快な気持ちも閉じ込めてしまう傾向も多く感じます。 私があなたの肯定感を高めるお手伝い、心の声を発掘するお手伝いをしたいと思います!!