黒森峰より愛をこめて(逸見エリカ生誕記念 06.03.2019) ⑩

第十章 まほの留学生活

温泉から出て店に戻ると、ウッドデッキの上、カウンター近くの角のテーブルに、席が用意されていた。
クリスマスが近いということで、エリカ達以外に客はいない。

一グループだけ、中央の窪地の角の席、ちょうどエリカ達の対角線上に、楽器を持った若い女性の三人組がいたが、彼女達は「流し」らしい。演奏する代わりに、一食食べさせて欲しいと申し出があったそうだ。

「こんな格言を知っているか。
『涙と共にパンを食べたことのないものは、天上の大いなるみ力を知らない』」
「ゲーテ、ですか…」

カンテレをチューニングする彼女達を尻目にみっともないとこぼすエリカをたしなめるように、まほは言う。
そういえば海外留学組同士でSNSでつながり始めたらしいから、格言好きの誰かさんに影響されたのかもしれない。

演奏が始まるのと同時に、料理が運ばれてくる。

カリカリに焼けたブレーツェル。
ピクルスとザウアークラウト。
クリーミーなマッシュポテト。
ソーセージの盛り合わせ。
マウルタッシェとレンズ豆のスープ。

そしてもちろん、ビール。
見たことのない、細身で背の高いグラスになみなみ注がれていた。

「Prost!
Willkommen im Schwabenland!」

早々に店じまいを決めこんだヨアンナも含めて、三人で乾杯。
地ビールのヘーフェヴァイツェンは、日本でよく飲むラガーと違って濃くてクリーミーで、フルーツのような香りがした。

「本当は私もカレーとハンバーグを用意しようと考えていたんだが、量が多すぎるとヨアンナに言われてな。
しかし彼女の郷土料理の味は最高だぞ、是非試してくれ」

隊長の手料理!
一瞬興奮したが、隠し味に肝油とヤクルトを入れようとしたとヨアンナにそっと耳打ちされ、血の気が引くエリカだった。

しかし隊長はいつになく多弁だった。

最初は郷土料理の説明。
王の命令で、太陽を一度に3つ見られるようなパンを作れば死刑を免れるということで作ったブレーツェル。肉を食べられない金曜日に、神の目を盗んで肉を食べるために生地にくるんだというマウルタッシェの由来。
なかなか面白い話で、外国が初めてのエリカにはなかなか新鮮だったが、普段の隊長なら作ったヨアンナさんに話してもらっただろうと少し不思議に感じた。

酒が進んでいた。
それもあるかも知れない。
ビールを2~3杯やった後ワインに移ったが(この辺りはドイツでは珍しく、いいブドウとワインができるらしい)、なかなかにハイペースだった。

酔っていなければ出せない愚痴も隊長には、いやいつも気を張っている隊長だからこそ、あったのだろう。
話題が隊長の留学生活になると、普段は言わないような弱気な言葉が漏れてきて、エリカは戸惑いながらも、必死に受け止めようと努めた。

まほの住む学生寮は大学から車で10分くらいの、山の上にある。「学生村」とでも呼べる区域で、日本の団地のような居住施設だけでなく、コインランドリー、役所の出張所、スーパー、喫茶店、バーにディスコまで、学生生活の大半は「村」の中で済むらしい。
まほは5人組のWG(ルームシェア)に住んでいて、トイレとシャワーを二つずつ、キッチンとリビングをひとつずつ五人で共有し、寝室は一人一部屋。日本人も機甲科(戦車道)所属もまほだけで、国籍も学部もみなバラバラだ。まほも含めわりに忙しいメンバーが多いが、金曜日の夜にたまにホームパーティーをするのが楽しい。だが文化の違いもあって、ちょっとしたことで険悪になることもあった。

「私物を置かないルールの共用廊下に洗濯物を干すとか、キッチンの調味料を勝手に使ったとか、些細なことなんだが、共同生活は難しいものだな」

相槌を打ちながら、自分も黒森峰入学当初は似たようなことがあったなと思い出した。
西住姉妹は言わば「士官候補生」だったから、この手の共同生活は初めてだったらしい。それを経験するためもあって、ルームシェアにしたそうだが。

しかし一番愚痴りたかったのは、やはり戦車道らしい。
2本目のワインをヨアンナに頼んでから、隊長はドイツの「戦車道」について語り始めた。

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