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サクラメイキュウ~飲み込まれそうな迷宮を切り裂いて~(『FATE/EXTRA CCC』)②

「迷宮の原理」

(一)通路が交差しない
(二)どちらの道に行くかという選択肢がない
(三)常に振り子状に方向転換をする
(四)迷宮の内部空間をあますところなく通路が通っており、迷宮を歩く者は内部空間全体をあますところなく歩かなくてはならない
(五)迷宮を歩む者は中心のそばを繰りかえし通る
(六)通路は一本道であり、強制的に中心に通じている。したがって内部を歩く者が道に迷う可能性はない
(七)中心から外部へでる際、中心への通路を再び通っていくほかはない
和泉雅人『迷宮学入門』講談社現代新書 2000 
p45-46

昔読んだ新書の中で提示されていた、「迷宮」というものを特徴付けるメルクマールである。
神話や美術など文化学での研究成果で、全てが当てはまるわけではないけれど、「サクラメイキュウ」もまた、これらの特徴のいくつかを備えている。

迷宮の研究史においては、「クレタ型迷宮」というモデルが原型として扱われるらしい。ギリシャ神話でも有名な、ミノタウロスが閉じ込められていたというあの迷宮だ。

「迷宮構造ー死と再生」

前掲書『迷宮学入門』第二章「迷宮の原理」p56から続く一節では、「死」と「再生」の場としての「迷宮」の機能が論じられている。

迷宮に入った者は常に中心を意識しながら、全過程を歩みとおし、やがてその中心にいたる。中心にいたる周回路をあますことなく歩みとおすことによって、人はおのれの過去と向き合わされるのである。そしてその中心で出会うものは、全過去を脱ぎ捨てた新しい自己自身か、あるいはミノタウロスのような神的原理であろう。
(…)
このように迷宮の中心はきわめて特権化された場所であり、全迷宮空間のおりなす階層の頂点にたつ場所である。
(…)
さて、いったん中心に到達した者は、一八〇度の方向転換をして出口をめざさなければならない。
(…)
そして同じ道を通って、しかし、今後は新たな自己としてみずからの全過去を一歩一歩ふりかえりつつ、外界をめざすのである。
(…)
つまり中心においておこなわれているのは、それまでの自己の象徴的死と新たな自己への生まれ変わり、象徴的再生なのである。
『迷宮学入門』p57

『「死」と「再生」が同時におこなわれる』『特権的な場』としての中心。
その中心にたどり着くための、「産み直し」の産道。
それが「迷宮」の持つ機能なのだ。

そしてこの性質は、そのまま「サクラ迷宮」にも当てはまるのではないか。

サクラ迷宮。
月の裏側の旧校舎前の桜の樹の下に広がる、謎の構造体。
月の表側(理性の世界)に通ずる道でありながら、核にされた少女たちの心の内奥、イド(「無意識」)の底の底に続く「井戸」でもある不思議な空間。
その先は、月の内部(仮想空間SE・RA・PH)を支配する巨大演算装置ムーンセル(月の聖杯戦争における「聖杯」)に通じている。

しかし実は、月の裏側自体が「未来完了形的」にムーンセルに到達していたBB=間桐桜の作り出した夢、霊子虚構陥穽(カースド・カッティング・クレーター C.C.C.)の中にあり、「サクラ迷宮」はBB=桜の心象風景であることが物語後半で判明する。

つまり主人公がサクラ迷宮を踏破するということは、BB=桜の心の内奥、イドの底に沈み込むということである。
そしてサクラ迷宮は、カフカの『掟の前に』の門がそうであったように、「主人公のためだけに」用意されたものであった。



主人公は迷宮を踏破しながら、みずからの過去、本当の自分を取り戻すことになる。桜が主人公を救うため、一時忘れさせた過去を。
そうして見出だした「真実」が、『オイディプス王』の自己発見と同様に救いのない悲劇であったとしても、「センパイ」は決して絶望しない。そう信じていたのだ。

やがて主人公は、「中心」にたどり着く。
そこはムーンセルの中枢であり、BB=桜の「心」でもある。
そして主人公は立ち向かう。

ムーンセルという世界の超越的な秩序(ロゴス)に。
自分を愛してくれた女の子の想いに。
そして、ここまで戦い続け、生き続けてきた自分自身に。

「中心」での戦いを終えた主人公は、新たな自分として「再生」し、「迷宮を切り裂いて」外界へと帰還する。

しかしそれは、月の裏側の世界を創り上げたBBの想いの通り、「サクラ迷宮」という彼女自身の「疑似子宮」の中で、何よりも尊い「センパイ」を死の運命から再生し、産み直したということなのかも知れない。




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