THE SEVENTH NIGHT~GACKTはすべての業を終え、休まれた~①

懐かしい夢を見た
あの頃は寄り添うように
溢れる孤独をみんなで分かち合って

大切なものが何かと
気づいたときには遅すぎて
過ぎ去った思い出はいつも眩しすぎて
-「君が追いかけた夢」Gackt.C

GACKTが活動休止をすると聞いた。

ショック、というにはあまりに緩慢で鈍重な、沈みこむような虚しさ。
「青春」の灯がまたひとつ消えてしまったという寒々しさ、とでも言おうか。

寒い時代だと思わんか…
-『機動戦士ガンダム』ワッケイン少佐

彼の好きなアニメから名台詞を引いて文彩を飾るくらいには、完全な休止だと信じていないところもある。
しかしそれでも、昔よく懐いていて大人になって疎遠になった伯父さんがいつの間にか逝ってしまったような、やり切れなさが残る。

高校生から大学生にかけて、僕はGACKTのファンだった。
彼の音楽だけでなく、ファッションや生き方、およそ彼が「表現」するすべてが好きだった。
大人になるに連れて、ある程度は「自己演出」であることも理解し始めたけれど、そうすると彼の自己プロデュース力やマーケティング力を垣間見ることになって、「表現者」としての「舞台作り」の力にまた脱帽することになる。
「アルチザン(職人)」としての歌手ではなく、「アーティスト(芸術家)」としての、真の意味での「表現者」だと思う。

2011年、僕がドイツ留学する前後はちょっと忙しくなって、また所属事務所が変わって何となくイメージが変わったようなところもあって、少しずつ聞かなくなってしまった。
それでもテレビに出ていたら見てしまうし、昔のCDは聞いていて、たまにカラオケで歌ったりもする。

心に残る名言も多かった。
初出、出典がうろ覚えなのだけれど、いくつか紹介したい。

「夢は見るものじゃない。
夢は叶えるもの。」

初出はうろ覚えだけれど、GACKTは何度か高校の卒業式にサプライズ出演して、『野に咲く花のように』をライブで歌っていて、その時に毎回卒業生に贈っている言葉だ。
「キミたちのほんの少し前を歩く人生の先輩として」。

余談だが、GACKTには新しいことにどんどん挑戦する面と、一度始めたことを継続していく二面性がある。
高校の卒業式へのサプライズも毎年のように行っているし、大河ドラマ『風林火山』に上杉謙信役として出演した縁で参加した「謙信公祭」も、大河ドラマが終わった後も何年か続けていた。
売名だと下種の勘繰りをする人もいるかもしれないけれど、僕は純粋に今から大人になる青年達を勇気付けたいという思いや、上杉謙信への想いから行っているのだと思う。

イメージできるものは、必ず実現できる。

これも出典がうろ覚えだけれど、いろいろな場で発言していた気がする。
イメージしたゴールへのストイックさという意味では、何となくこの名言を彷彿とさせる。

「忘れるな、イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。お前にとって戦う相手とは、自身のイメージに他ならない」
-アーチャー『Fate/stay night』

もうひとつ、印象に残っている言葉。

「知覚動考」=「ともかくうごこう」

正確には、GACKTが人生の先輩から教わった言葉らしい。それをずっと覚えていて、雑誌の企画でファンから人生相談を受けた際、「ほんの少し前を歩く人生の先輩」としてアドバイスしたのだ。

世間一般のイメージ(?)に反して、GACKTは自分とつながっている人のことをすごく大事にする人だと僕は思っている。
自分が尊敬する人や恩を受けた人へのリスペクトは忘れないし、ファンには最高のパフォーマンスを届けたいと努力する。
だから恩人の言葉を忘れないし、それをファンに届けてアドバイスしたいと考える。
あるいは、先に触れた『風林火山』で共演した故・緒形拳との交流からも、故人への強い敬愛が感じられる。

今手元には、一枚のCDがある。

『THE SEVENTH NIGHT 〜UNPLUGGED〜』

2004年5月、5年のソロ活動を走り抜けたGACKTが一度自分自身を見つめ直し、昔歌った曲をより「ネイキッドな」自身の声で歌い上げた名盤だ。

ブランデーを転がしながらこのCDを聞いて思う。

また、GACKTの歌を聞きたいな、と。


数え切れない夢を語り合ったあの頃には
もう、戻ることはないけれど
君が追いかけた夢なら
傷つくことにおそれないで
ふるえる夜には君を抱きしめてあげよう
だから
悲しそうな顔はやめて
君の笑顔を見せておくれ
だれより素敵な僕の大切なその笑顔を
-『君が追いかけた夢』Gackt.C

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