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ムスメ小学一年生、私たちは学校をやめることにした④

 そんなこんなと夫婦で何度も話し合って、家族みんなで選択したホームスクーリング。そんな生活も二ヶ月が過ぎたころ、彼女が気に入っていたのは吉本新喜劇。その前はドリフターズだった。
 まあ何というか、要するにYouTube観まくりである。
 ちなみに好きなテレビ番組は、笑点と寅さん(BSでやってた)。
 ここからどんな十代に育っていくのか、ニヤニヤしながら見守っているが、笑いのセンスが古くなるのではないかということだけは、ちょっと不安である。

 ホームスクーラーとして過ごすうち、
「40分のパソコン視聴時間は短すぎる」
ということになり、うーむ、バレてしまっては仕方がない。話し合いにより一日二時間のテレビ・パソコン視聴時間となった。
 するとミルコは、時計の読み方と二けたの計算を必死でマスターしていた。最終的に身につくなら、勉強の仕方なんてどんな方法でもいいのだ。だったら本人が楽しいほうがいいに決まっている。

 学びはすべての場所にあるのだ。自由に過ごす日常のなかでも。

 教育ってのは、どうしても、大人が子どもにこうあってほしいという願いが先行する。教育の主役である子どもの意志よりも、だ。
 それがいけないと言うつもりはない。願うこと自体は悪いことじゃないし。
 でも私は思う。それでいいという子もいるだろうが、
「自分のペースで、自分の勉強したいことから勉強したい」
と思う子だっているんじゃないのか。
 そういう子に対してまで
「あなたが学ぶべきことは、あなたの意志よりも先に、大人の私が決めること」
って型に押し込めちゃうのは、大人、あまりにも大人げなくないか?

 そして本来的に言うならば、大人が考える大切なことはひとまず脇に置いておいて、子どもの方から学びたいことが出てくるのを待っていてやれるのが、真の大人の余裕ってヤツじゃないだろうか。
 だって、教育の主役って、子どもだからさ。

 大人が伝えたい大切だと思う知識は、その子が学びたいってタイミングが来てから伝えても遅くない。むしろその方が、子どもの頭に入るよね。
 知識以外の、人として大切だってことは、はい今から教えますよーって教えるんじゃなく、折に触れて伝えていけることのような気がするし。

 上に上に伸びていく草木のように、人間は生まれながらにして、もっと成長したいって思いを持っているんじゃないかな。
 だから、もっと子どものことを信じて傍にいてみたらどうだろう。

 もちろん失敗したり悪いこともしてみたり、回り道になるかもしれないけれど、それも含めて長い目で見守ってやるのが大人の役目かなあと、私は考えているんだけど。

 ある日の午後は二人で公園。いい天気。
 午前中にいた親子連れが帰り、幼稚園が終わる前の時間帯で、ちょうど誰もいない二時前ごろ、自転車で大きな池の周りを二人でぐるぐるサイクリング。
 芝生広場の小さな丘を上ってはびゅーんと下り、上ってはびゅーん。ほんのちょっとしたスリルに笑いながら喋りながら、二人で自転車を漕ぐ。

 もちろん楽しい日ばっかりじゃない。付きまとわれて、正直「もうっ!」ってなっちゃう日も多い。
 二人っきりでいると、どうしても煮詰まっちゃう時もある。

 でもこの瞬間は二度と無い。
 いまこの美しい時を、この子と二人、一緒にいられること。
 学校じゃない日々は、思った以上に幸せでちょっと驚いているくらい。
 ありがとう。
 お母さんは幸せだよ。

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