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思いと、話すこと、書くこと。

 一週間前、ぎっくり腰になった。人生初である。
 重いものを持ってなくてもなるという話しは聞いていたが、まさか自分もそうなるとは。ビニール袋を拾おうとしただけなのに。

 幸いそんなにひどい症状ではなく、家の中をよぼよぼしながら動いていたら、十年来の友人が駆けつけてくれ、レイキを施してくれた。レイキって何か知らんけど。中国四千年的なやつか? たぶん違うと思う。
 何かはよく分からないが、とにかくこれがけっこう効いて、次の日はずいぶん楽になった。恐るべし中国四千年のチカラ。うん、だから中国は関係ないと思うよ。
 とにかく友情に感謝である。

 原因を振り返ってみれば、①冷えていた ②睡眠不足だった ③運動不足だったなど、いろいろ思い当たる節はある。しかし一番の原因は、自分の力にそぐわない重い課題を背負い込もうとした、そのことである。
 要するに張り切って頑張りすぎたのだ。何を頑張ろうとしたのかというと、まだもやもやしてる「真の教育とは」、「本当に学校で学んだほうがいいこととは何ぞや」というけっこうな重量の問題を、文章化しようと思ったのである。

 だから常々自分にやさしくと言っておるのだ。さすがはおたんこナスだ。自分の話をもっとよく聞くといいと思う。はんせい。

 noteをお書きの皆さんには共感していただけるかと思うが、文章を書くと言うのは大変なエネルギーがいるものだ。私もただ読んでいるだけの時は、一字一句を味わおうともせず一日に何冊も読んで、いい気になっていたもんである。
 それが自分でも書いてみると、なんとまあ時間のかかることか。こんなふざけた文章でもそうなのだから、みなさんのご努力や推して知るべしである。

 思っていることというのは気体で、形にもなっていないけど、とにかく心の中にはもわもわとある。時にはスッと浮かんでは消えていき、時にはパンパンで頭がおかしくなるんじゃないかということもある。うっかり布団の中でそんな考えを思いついてしまった日には、確実に寝不足になる。ぎっくり腰になるからお止めなさい。

 それを何とか表現して、話すことが出来れば液体になる。いま気が付いたけど「表現」って表に現す、だ。これ考えた人は天才じゃないか?
 でも液体はまだ器によって形を変える。その場にとどまってはいられない。同じ話でも相手によって微妙に言い回しが変わったり、印象が違ったり、あやふやなままでも、まあ何とかなる。

 それが文章にすると固体になる。書いたものは、基本的に変えられない。でもそれがあるから、多くの人と共有出来たり、それを土台にしてまた出発するときに役に立つ。
 もやもやがうまく形になって、はっきり目に見えたときの快感ったらたまらなくて、病みつきになっているほどだ。だから書くのが楽しくて仕方ない。キーボードをたたく指がピアノで楽しい曲を奏でてるみたいだ。実際のピアノはもっぱら一本指打法だが。

 しかしまあ、思いを文章にするというのはけっこうなエネルギーが必要なのだ。気体を個体にまで凝縮する作業だからな。書き終わるとどっと疲れたりして、なのに運動不足でぎっくり腰だ。納得いかない。
 私の文章筋が足りていないのか。もっと鍛えたらムキムキになれるのか。
 そしたら文章ビルディング大会に出場して、ぜひとも「肩がメロン!」とか、掛け声をかけられたいものである。「腹筋板チョコ!」のほうがいいかな。

 今後もびしばしと文章筋を鍛え、いつか「真の教育」についても書いていきたい。大会に出た際には、皆さんからの熱い掛け声をお願いします。

 


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